『鎌倉英勝寺 仏殿正面』 国指定重要文化財 寛永13年(1636)建立/寛永20年(1643)増改築 平成20年(2008)3月15日撮影 カメラ機種名: Canon EOS 40D, 撮影モード: プログラムAE, 絞り数値: 11.0, シャッター速度: 1/250, ISO感度: 400 レンズ: EF-S17-85mm f/4-5.6 IS USM, 焦点距離: 17.0mm(35mm換算=27.2mm), 画像サイズ: 3888x2592を1024x683にリサイズ ★2013年5月17日、文化審議会が英勝寺の仏殿(扁額を含む)・山門(扁額を含む)・鐘楼・祠堂(墓塔を含む)・祠堂門を国重文に指定するよう文科相に答申し、同年8月7日に官報にて告示されました。 開基英勝院が水戸初代藩主德川頼房や3代将軍徳川家光の支援を得て建立し、英勝院の一周忌に合わせて頼房が改築した仏殿は、禅宗様式を基調としつつも天井画・壁画等に江戸初期の華やかさを残す重層5間四方の建物です。正面に掲げられた扁額によれば仏殿は宝珠殿と称します。 仏殿前に立つ高さ226.5 cmの石燈籠一対は、寛永21年(1644)の建立です。 この仏殿を含め、伽藍の屋根は軒反りのない直線的なデザインが特徴で、この頃の徳川家ゆかりの寺院に多く見られるそうです。水戸徳川家が雇用した宮大工の仕事です。 裳階(もこし)(Note 1)の蟇股(かえるまた)(Note 2)には十二支(Note 3)の彫刻が配され、それぞれが方角を示しています。仏殿の後側中央、すなわち北方向が「子」です。彫刻は細工人の仕事です。 堂内中央には、徳川家光から寄進された運慶作の阿弥陀三尊立像(Note 5)が本尊として安置されています。 壁面には鳳凰、天井には迦陵頻伽(かりょうびんが)(Note 6)、そして太田家(Note 7)の桔梗紋と徳川家の三葉葵紋などが極彩色で描かれています。 なお、扉の下方には長寿の蝉(セミ)がとまっています。 2011年4月17日のコメント: 撮影者の背後には、德川頼房の長男、すなわち水戸2代藩主徳川光國の兄で高松藩主となったばかりの松平頼重が建立した立派な山門がありましたが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊して以来、上の写真を撮影した頃も山門は礎石のみの状態でした。しかし、平成23年(2011)3月に復興再建が完了し往事の姿を取り戻しています。復興成った山門はこちら。 [語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。 Note 1: 裳階(もこし) = 建物の軒下壁面に造られる庇(ひさし)様の差掛(さしかけ)。これのある建物を雪打造(ゆたづくり)という。法隆寺金堂・薬師寺三重塔に見られる。雪打(ゆた)。しょうかい。 Note 2: 蟇股(かえるまた) = 社寺建築で荷重を支えるための部材。下方が開いて蛙の股のような形をしているからいう。後には装飾用。厚い板でできた板蟇股と、内部をくりぬいた本蟇股とがある。 Note 3: 十二支 = 暦法で、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の称。中国で十二宮のおのおのに獣をあてたのに基づくという。すなわち子は鼠、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は竜、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪。そのおのおのを時刻および方角の名とする。 Note 4: 斗栱(ときょう) = 建築物の柱上にあって軒を支える部分。斗(ます)と肘木とを組み合せて構成する。ますぐみ。組物。 Note 5: 阿弥陀三尊 = 中央に阿弥陀仏、その左右に脇侍(きょうじ)する観世音・勢至(せいし)の2菩薩。弥陀三尊。 Note 6: 迦陵頻伽(かりょうびんが) = 仏教で雪山または極楽にいるという想像上の鳥。妙なる鳴き声を持つとされることから、仏の音声の形容ともする。その像は、人頭・鳥身の姿で表わすことが多い。歌羅頻伽。迦鳥。頻伽鳥。 Note 7: この太田家は太田道灌系です。太田道灌は摂津源氏(広い意味では清和源氏)で、源頼朝に先んじて似仁王(もちひとおう)とともに平家に挙兵した源三位頼政(げんさんみ よりまさ)の子孫です。我が太田氏は常陸平氏ですから太田道灌との直接的な関係はありませんが、徳川家康が名家の子孫を積極的に登庸したことから江戸時代の職場の上司には摂津源氏系の太田氏がおられました。 |
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