『鎌倉英勝寺 山門扁額』 山門に含み国指定重要文化財 寛永20年(1643)8月山門建立 平成23年(2011)5月21日撮影 カメラ機種名: Canon EOS 5D Mark II, 撮影モード: プログラム先AE, シャッター速度: 1/200, 絞り数値: 2.8, 測光方式: 評価測光, 露出補正: 0, ISO感度: 100, ホワイトバランス: オート, 長秒時露光のノイズ低減:自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 標準, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 標準, 周辺光量補正: する レンズ: EF70-200mm f/2.8L IS II USM, 焦点距離 200.0mm, 画像サイズ: 5616x3744を1024x686にリサイズ 「英勝寺」の文字は後水尾上皇の宸翰とされ、寛永20年4月10日(1643/5/27)の裏書きがあるそうです。 本物の扁額は鎌倉国宝館に寄託中とのことなので、これはレプリカです。 もう一つ現存する「英勝寺」の扁額には寛永21年(1644)8月の裏書きがあるそうで、仏殿前に立つ226.5 cmの石燈籠一対が寛永21年ですから、山門建立も寛永21年であるとする説があります。 仏殿の扁額「寶珠殿」はこちら。 [語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。 ◎扁額(へんがく) = 門戸・室内などにかける細長い額。 ◎後水尾天皇(ごみずのおてんのう) = 江戸初期の天皇。後陽成天皇の第3皇子。名は政仁(ことひと)。法名、円浄。徳川秀忠の娘和子(東福門院)を中宮としたが、幕府の公家圧迫に反発して1629年(寛永6)明正天皇に譲位。以後4代51年にわたり院政。洛北に修学院離宮を造営。(在位1611~1629)(1596~1680) ◎宸翰(しんかん) = 天使の直筆(じきひつ)の文書。宸筆。 |
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