『鎌倉英勝寺 英勝院墓塔』 祠堂に含み国指定重要文化財 寛永20年(1643)建立 平成20年(2008)3月15日撮影 画面中央、黒くて背の高いのが墓塔です。 写真の左から右、すなわち東から西の方向に、英勝院の祠堂(Note 1)(左側に写っているのは祠堂を覆う鞘堂)、祠堂の真後ろにこの墓塔、右端、すなわち一番西側の鎌倉石の山肌に掘られたやぐら(Note 3)に来迎の三尊石仏(Note 4)という順に配置されています。 墓塔は、長じて水戸2代藩主となる、当時16歳の徳川光圀が建立しました。 これは、水戸初代藩主徳川頼房の養母であった英勝院の一周忌のために水戸家によって行なわれた伽藍整備の一つです。光圀の兄で、寛永19年(1642)に高松初代藩主となった松平頼重(22歳)は山門を、そして父である水戸初代藩主德川頼房(41歳)は仏殿を改築し、唐門を伴う祠堂と梵鐘を含む鐘楼を建立しました。 なお英勝院の墓石は歴代の住持の墓石と共に非公開の廟所にあるそうで、庫裡の後ろの一段高い場所です。 [語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。 Note 1: 祠堂(しどう) = ①(家の中の)祖先の霊を祀る所。寺院で、俗家の位牌をまとめて安置する位牌堂。持仏堂。たまや。 ②神仏をまつる小さい建物。ほこら。 ③省略 Note 2: 鞘堂(さやどう) = 風雨を防ぎ、社殿・仏堂を保護するため、その外におおいかけた建物。 Note 3: やぐら(矢倉・窟) = (イハクラ(岩倉)の訛か)岩石に穴を掘って物を貯蔵しておく倉。また、墓所。鎌倉地方に多い。 Note 4: 来迎(らいごう)(Note 4-1)の三尊 = 来迎阿弥陀仏と観音・勢至(せいし)の2菩薩。 Note 4-1: 来迎(ライコウとも) = ①[仏] 臨終の際、仏・菩薩がこれを迎えに来ること。特に浄土門でいう。末灯釥「臨終をまつことなし。-をたのむことなし」 ②省略 |
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