エンパイアステートビル 1982

『エンパイアステートビル 1982』ニューヨーク マンハッタン Googleマップ 米国NYエンパイアステートビル 1982年6月20日(日本時間)撮影
写真にマウスカーソルを置いているときの画像は、この出張時に日本の我が家へ送った絵はがきです。
日本との時差はこちら。ニューヨーク州の位置はこちら
上の写真は古いですが、下記情報は逐次アップデートしています。
米国、ニューヨーク(以下NYと表記)、そしてマンハッタンについては、このページに多く書いております。

エンパイアステートビルの竣工は1931(昭和6)年で、前年に竣工した319 mの「クライスラービルより高く!」と競って勝ったのだそうです。102階建て、443 mの高さは長期間世界一を維持していました。その間につぎのような際どい経験もしました。

1945年7月28日、米国陸軍航空軍(空軍の前身)のB-25爆撃機が濃霧の中を飛行中、誤って79階に突入・炎上。乗組員3人全員とビル内の11人、合計14人が死亡。着陸間近で残存燃料が少なかったことから火災の規模が限定され、建物の安全性が維持されて僅か2日後に営業再開。
2012年、グラウンドゼロの跡地に建設中の1WTC (One World Trade Center) の床面がエンパイアステートビルの高さを越えたため、NYで一番高いビルの座は1WTCに譲りました。
2024年5月の時点で世界一高いビルは、2004年着工/2010年開業の、UAE ドバイのご存じブルジュハリファで、828 mです。

NYと言えば、エンパイアステートビルを代表とする摩天楼(Skyscraper)というイメージですが、テレビ等のメディアで紹介される、超高層のオフィスビルが建ち並ぶあの光景は、NY州はもちろんNY市に狭めても、ごく一部でしか見ることができません。上の写真にマウスカーソルを置いたときの絵はがきで一目瞭然です。イーストリバーの向こう側は、ここマンハッタン島の東に横たわるロングアイランドのNY市クイーンズ区ですが、見事なまでに高い建物が見えません。
摩天楼は、南北が約24 Km、東西は僅か3 Kmほどの、地図上で縦に細長いマンハッタン島の中だけ、しかも南半部に集中しています。エンパイアステートビルや1WTCの位置関係は、この写真をご参照ください。
NY州は、大西洋から見た間口は狭く、マンハッタン島の西側を流れるハドソン川の対岸は、お隣のニュージャージー州です。
東側は、お隣のコネチカット州との境界まで北東方向に30 kmほどしかありません。ただし、マンハッタン島の東に横たわるロングアイランドもNY州ですから、これを間口と考えれば150 kmです。
何れにしても、NY州は間口は狭くても北から北西方向に扇のように大きく広がっていて、五大湖のエリー湖とオンタリオ湖の間のナイアガラの滝の、さらに先まで続く広大な面積を有します。北辺は隣国カナダとの国境です。
その広大なNY州全体に摩天楼が建ち並んでいるはずがなく、NY州もそれ以外の州も、総じて米国は緑と自然が豊かな地域が広がっています(砂漠もありますが)。
だからこそ、摩天楼が集中するマンハッタンの存在感が高まり、世界中から、そして米国内からも観光客が集まるのです。

マンハッタンで正確な方位を考えるなら、ブロードウェイがセントラルパーク以南ではマンハッタン島を左上から右下へ斜めに走っていて、この区間が正確な南北に近いです。
しかし、マンハッタンでは(ほぼ)南北に走るyyアベニュー(yy番街)を南北と捉えた方が直感的に分かり易いですし、実際の区画割りと住所の東西南北も、アベニューと、これに直交して(ほぼ)東西に走るストリートを基準にして決められています。
アベニューは、東端の1st Avenue(1番街)から始まって西へ12th Avenue(12番街)までが並んでいます。しかし数字だけではなく、Park、Lexington、Madison、Broadwayという名前のアベニューが含まれるので、ややこしいです。
つぎに横方向、すなわち(ほぼ)東西に走るのはxxストリート(xx丁目)です。番号は南から始まっていて、グリニッジビレッジ北方の1st Street(1丁目)から、マンハッタン島北端の218th Street(218丁目)まであります。
グリニッジビレッジは都市計画による区画割り以前に成立していますので、道路が碁盤の目のようになっていなくて複雑です。
また、全てのアベニューやストリートが島の端から反対側の端まで通じているわけではなく、途中から始まったり、途切れたりしている道がたくさんあります。

NY市(ニューヨークシティ)は、つぎの五つの区で構成されています。まず、マンハッタン島がニューヨーク区、その北のハーレムリバー対岸のブロンクス区、南のスタテンアイランド区(スタテン島)、マンハッタン島の東に横たわる細長ーく大きな島、ロングアイランド左端部のクイーンズ区、そしてクイーンズ区の南に隣接するブルックリン区です。
ついでながら、ニューヨークの州都は嘗てはNY市でしたが、現在はAlbany(オルバニー)市です。また、NY市が米国の首都であった時代もありました。現在の首都は、言うまでもなくワシントン DCです。首都と州都の変遷はこちら

マンハッタン島で北を向いて左側はハドソン川、右側はイーストリバーです。島の北端は、ハドソン川の支流ハーレムリバーで北米大陸と隔てられており、北米大陸やロングアイランドとは、トンネルと多くの橋で結ばれています。
マンハッタン島の南端はアッパーニューヨーク湾に面しており、バッテリーパークからは、嘗て移民局があったエリス島、自由の女神のあるリバティ島、その向こうにスタテン島が望めます。スタテン島の向こうは大西洋です。

マンハッタン島の東西方向は約3 Kmしかありませんから、一気に歩けば40分ほどで横断できてしまいます。南北方向は約24 Kmありますので徒歩で縦断する人は、あまりいないと思います。しかも、セントラルパークから北に少し行くとハーレムなので、徒歩では入り込まない方が無難です。車なら、全く問題ありません。

NYは人種(正確にはホモ・サピエンスの1種だけですが)のルツボと言われるとおり、世界各国からの移民が、このマンハッタンにも、周辺にも、そして米国全土にたくさん住んでいます。
移民はコロニーを作りがちで、コロニーの中では母国語だけで取り敢えず生活できますから、一生英語が話せない人がたくさんいるそうです。
日本人・日系人は北米大陸西側、すなわち太平洋側の、特にCA(カリフォルニア州)のLA(ロサンジェルス)とその近郊に多く集まっています。ただ、NY在住の人が「NYだって日本人が大勢住んでいるよー」と言っています。

マンハッタンへは観光客が世界各国からやって来ますが、取り分け米国内からの御上りさんが多いようです。そのことに長らく気付きませんでした。
マンハッタンを歩いていると、どう見ても米国人と思われる人から頻繁に道を聞かれます。『なぜ、見るからに東洋人である私に尋ねるのか?』、当時の私は米国内からの御上りさんが多いことを知らなかったので、とても不思議に感じました。NY在住の人によれば、「同じ米国人に道を聞くより東洋人に聞いた方が恥ずかしくないからじゃないかな」とのことです。
最近は、マンハッタンで日本語が聞こえてくることが多くなりました。若い女性と、特におばさんのグループは大声で喋るので、よーく聞こえます。米国初心者の頃は日本語が聞こえると嬉しく、安心しましたが、今は・・・うるさいです。すみません。皆様、お楽しみ下さい。

NYの四季
【春】
3月はまだ春を実感することは難しく、雪が積もることがあります。4月下旬になればサクラ(特定の場所のみ)、少し遅れて5月初旬にハナミズキなどの花が次々に咲いて、まさに最高の季節です。サクラは北米大陸に自生していないため、山はもちろん住宅地でもあまり見かけません。咲いているピンクの花はハナミズキが多いです。
マンハッタンのセントラルパークにはサクラがたくさん植栽されていて、お花見をしました。また、サクラはブルックリン植物園が有名で、私は行ったことがありませんが日本庭園もあるそうです。
サクラの開花時期については、NY市と同程度の緯度にある青森県弘前公園の開花予報が参考になります。(
Note 1)
米国も日本と同様にガーデニングの好きな人が多く、郊外では庭を塀で囲んでいない家が多いので、通勤途上に様々な花を楽しむことができて心が癒やされます。
5月になっても私は肌寒く感じますので上着が必要ですが、現地の人は既にTシャツ姿が多いです。
こちらの人の服装はバラバラです。半袖のTシャツ姿が多い陽気になっても分厚いオーバーコートを着ている人がいるのは、私にとっては異様です。マンハッタンで、黒く分厚いオーバーコートを着て黒い帽子をかぶっているのはユダヤ教の人です。それに対して全く文句はありません。人それぞれですから。

【夏】
梅雨がないので東京より一足先に暑くなります。
6月の日中は、しばしば30℃を超えますが、湿度はまだ高くありませんので日陰にいれば快適です。朝晩は冷えることがありますから要注意です。
8月になると、ここNYを含む東海岸は湿度も高くなりますから東京と同様に蒸し暑いです。ミシガン州やオハイオ州も蒸し暑かったー! 8月中旬の盆休みを潰して出張に行かされたとき、「まぁ、避暑に行くと考えればいいか」と思ったら、蒸し暑くてがっかりでした。
知ったかぶりをして「アメリカの夏は乾燥しているから木陰は涼しいよ」と言う人がいますが、東側には全く当てはまりません。西側の、例えばLA(ロサンジェルス郡)なら、そのとおりです。こちらの写真のように快適です。
NYにはハリケーン(くずれ)も来襲します。NYに到達する頃には熱帯低気圧になって、かなり弱まりますが、それでも大きな木が倒れて電線が切断されて停電したり、電話が不通になったりすることがよくあります。

【秋】
8月末から9月になると、ある日を境に涼しく乾燥した空気に一晩で入れ替わって、一気に秋が来るという印象です。上記
【夏】の「蒸し暑くてがっかり」の1週間後には、一晩で秋になって快適でした。
10月には、見事な紅葉を楽しめます。NYではありませんが街道筋の紅葉はこちら
NY州がカナダに隣接しているからというわけでもないでしょうが、庭にカエデを植えている家が多く、町中の紅葉も、こちらのように綺麗です。
10月も下旬になると、マンハッタンでは道路脇から湯気が立ち上りはじめます。これは、テレビでよく報道される風物詩です。火力発電所からイーストリバーを経て、電力だけでなく暖房用のスチームをマンハッタン島へ送っているそうです。
上の写真にマウスカーソルを置いているときに見える煙突が発電所です。
暖房はスチームが主流ですので、郊外でもこちらのようにビルの屋上から湯気が立ち上ります。これからは乾燥しますから、お肌の保湿と静電気に要注意です。

【冬】
11月も充分に寒いですが12月には北海道のように極寒の地となり、スノーストーム(雪嵐)(吹雪)が来て雪がしばしば積もります。こちらの写真のように-10℃は普通です。
寒さ対策として、私は厚い下着を3枚着ることにしていて、重ね着は保温効果が絶大です。毎日の洗濯は、肌に直接触れる1枚だけでいいので、重ね着をしないときと手間は同じです。最近は、保温力の高いジャンパーを買いましたので重ね着は2枚にしました。
雪が積もっても、幹線道路と都市部の道路は自治体によって素早く除雪されます。しかし、道路と車庫の間の雪掻きは自分でやらないと車を出せず、陸の孤島になって買い物に行けなくなります。
室内では、暖房によって乾燥が一層ひどくなります。静電気の発生もひどく、ドアノブや水道の蛇口から流れる水と指の間で
バチと派手に放電して電撃を受けるのが悩みです。金属のスプーンなどをしっかり握って放電させると電撃を軽減できます。化繊の下着を重ね着することが静電気発生の原因だと思います。
この時期のNY出張は「孫の手」が必需品です。ホテルの部屋の壁の角に背中をゴリゴリやったことがあって、その経験から私の旅行バッグには「孫の手」を常備しています。保湿クリーム、ヒビケア軟膏と絆創膏も。
厳寒のNYから帰国すると、成田の空港ビルから出たときに空気の温もりを感じます。大雪でも温もりを感じました。

【世間話】
NYを含む米国の東側は、夏は蒸し暑く冬は雪掻きが重労働ですから高齢者が住むのは辛いです。
住むなら西側のCA(カリフォルニア州)の、サンフランシスコ、ロサンジェルス、サンディエゴ辺りがお薦めです。
取り分けロサンジェルスは季候が温暖で住み易いです。夏は30度Cを超えますが湿度が低くて快適(こちら)、冬は薄手のジャンパーがあれば過ごせます(こちら)。
フロリダはワニに食われますし、アリゾナの夏は酷暑のうえ、タランチュラ、サソリ、そしてサイドワインダーがいますから怖いです。

【マンハッタン島】
この島は、オランダ人が1621年(江戸時代初期の元和7年)に作った西インド会社が1626年(寛永3)にインディアン(Native American)の代表者から僅か60ギルダーで購入したと言われます。
北北東から南南西に細長い堅固な岩盤でできた島で、北米大陸東岸のこの地域は地震がほとんどない(
Note 1.5)ので高層建築に最適です・・・と言うより、それしか使い道がありません。なぜなら、岩では畑にすることができないからです。
何十年か前、地球のプレートの移動ではない原因でNYが僅かに揺れたことがあって、地震を経験していない人達が多いため大騒ぎになったそうです。今なら「爆弾テロか?!」と、騒動になるでしょう。
同じ北米大陸でも西海岸では大地震が頻繁に発生しています。西海岸の地震の話題はこちら
Note 1.5: なんと、2024/4/5にNYが揺れて大騒ぎになりました。『歴史年表』をご覧下さい。。

【出張者としての私】
1979年10月の初回出張以来、ずっと土日が憂鬱でした。なぜなら、英会話苦手の海外初心者だったからです。
平日は米国在住者が一緒なので困ることはありませんが、休日は自力で生活しなければなりません。NYでの定宿の筋向かいには BURGER KING があるものの、ハンバーガーでは食事をした気がしません。(この BURGER KING は2012年時点でも健在でした。)
そこで、ロングアイランドのクィーンズ区にある定宿からバスと地下鉄で、ここマンハッタンによく来ました。Northern Boulevardに面するホテルの前からQ12のバスでフラッシング・メインストリート駅まで行き、7番の地下鉄(この辺りでは高架線)に乗ってマンハッタンのグランドセントラル駅下車です。
ずっと後になって分かったことですが、このホテルから徒歩15分の場所にLIRR(Long Island Rail Road)のベイサイドという駅があり、ここから電車一本でマンハッタンのペンステーション(ペンシルベニア駅)まで30分ほどで来ることができます。
ロングアイランドのポートワシントンとペンステーションを結ぶこの電車は地下鉄ではありませんが、マンハッタンでは電車は全て地下を走っています。マンハッタンのハブターミナルは、ペンステーションとグランドセントラル駅です。

サクラの季節のセントラルパークは素晴らしいです。一日散歩をしたら、仕事で疲弊していた心が洗われました。
こちらの人達もシートを敷いて花見をしますが、日本のように飲酒が目的のパーティは見かけません。日本人のようにサクラの花に思い入れが深いわけではないようですので、花見のためにシートを敷いたのではなく、そこがたまたまサクラの下だったのかもしれません。
セントラルパークについては、こちらにも少し書いています。

最近は、米国出張に慣れましたので「土日は憂鬱」どころか元気に遊び回っています。代わりに、往復の飛行機が憂鬱です。なぜなら、いまは機内全面禁煙だからです。
成田/NYの直行便は、往路はジェットストリーム(
Note 2)が追い風となるため12~13時間で行けますが、復路は向かい風なので13~14時間かかります。往路も復路も、ニコレットが必需品となっています。
2010年の出張の際はBoeing 747ではなく、777でした。777は747より巡航速度が少しだけ遅いようで、飛行時間が若干増えました。ただ、エコノミーにも全席に液晶ディスプレイが付いていて楽しめました。最近はディスプレイで、これを見ています。

【犯罪被害の予防と回避】
米国に限らず、日本を出たら「日本とは違う」ということを常に意識してください。
私は幸運にも、これまで強盗、スリ、置き引き等に遭ったことがありませんが、犯罪者は人命尊重などという教育を受けていないので、自分が捕まらない状況であれば平気で人を殺します(
Note 3)。
私は犯罪に遭ったことがないと言っても、それなりの注意はしています。例えば現地の住人と似た風体にするとか、バッグを置くときは常時、体のどこかで触れているとかです。
旅行カバンを自分の後ろに置いたまま切符を買ったり、何かの手続きをしたりするのは置引きを誘います。こういうときは、両足の間に挟んでください。後ろには目がありませんからリュックサックに貴重品を入れるのもダメです。
友人のO氏はマンハッタンのレストランで食事中、スーツにケチャップをかけられ(
有名な手口らしいです!)、慌てている間にパスポートが入っているバッグを盗まれたそうです。パスポートは、現金以上に盗難に注意しなければなりません。
特集』>『米国の通貨』の『強盗用の財布』に書いておりますように、強盗に遭ったときの準備をしておいて下さい。何も渡さないと撃たれます。

★TSA (Transportation Security Administration) 職員による窃盗に要注意!!!
米国の空港は、乗客の安全を守るはずのTSA職員に、せこい犯罪者がいることに留意してください。
結論を言えば、盗まれたくない貴重品は預けず、手荷物として機内に持ち込んでください。
米国の空港で飛行機に乗るには、TSAによる荷物のセキュリティチェックを受けなければなりません。ところが、荷物のセキュリティチェックを行なう現場の職員に窃盗を働く者がいるのです。日本の空港では考えられない話ですが、事実です。
2004年の出張の際、同行者はPCのHDD (Hard Disc Drive)がなくなったそうです。その人はTSAに届出をしましたが、例え金銭での賠償が受けられたとしても、HDDに記録されたデータは戻りません。被害の発覚を遅らせるためでしょうが、HDDだけを盗んでどうするんだろ?と思います。データを盗むのが目的でしょうか。米国出張が多いその人は、「以前にもTSA職員による窃盗に遭った!」と、憤慨していました。
だいたい、TSA職員の荷物の扱い方は日本人から見れば酷いです。床に置いた荷物を移動するときに足で蹴飛ばすなどは当たり前です。JFK空港でもLAX空港でもそうでしたから、全米の空港で同じでしょう。日本とはモラルの基準が全く違います。
2010年の出張時には買ったばかりのカメラを持って行きましたので、カメラもレンズもリュックに入れて機内に持ち込みました。荷物検査でX線を浴びますが、メモリーのデータが消えたことはありません。
私は『TSAロック対応』などというバッグは使わず、預けるバッグに鍵は一切掛けません。『TSAロック対応』でないバッグの鍵をかけると、セキュリティチェックのためにTSA職員によって壊されます。私が預けるバッグの中身は、着替えの(着替えた)下着や衣類、洗面用具、お土産等です。パスポートや財布は、着ている服のポケット、仕事の書類や文房具は機内に持ち込むリュックに入れます。ただし、ハサミやカッターナイフ等の刃物は一切機内に持ち込めませんし、ペットボトル入り水や化粧水などの液体は一定量以上は持ち込めなくなりました。この辺りのセキュリティの度合いは航空会社によって違いますし、同じ航空会社でも路線によって違います。
日本でも警察官や検察官が犯人となる事件が発生していますからTSAばかりを責められませんが、盗みを働くTSA職員がいるということを認識しておいて下さい。

Note 1: セントラルパークの北緯40.78度は、弘前市より少し北の青森市とほぼ同じです。

Note 2: ジェットストリーム (ジェット気流)
ジェットストリームの実際のデータは、こちらと、こちらに掲載しています。
地球の上空には、赤道付近では自転に起因する東風、すなわち貿易風が定常的に吹いています。一方、中緯度の上空では西風、すなわち偏西風が吹いていて、平均的には秒速30 mとされており、その一部がジェットストリームと呼ばれます。
台風で秒速50 mは猛烈な風ですが、ジェット旅客機が飛ぶ1万m上空のジェットストリームで秒速50 mは普通です。これを時速に換算すれば毎時180 Kmにもなります。
ジャンボジェット機 Boeing 747-400型機の巡航速度が毎時910 Kmと仮定すると(実際にこの程度です)、時速180 Kmの追い風(Tail wind)を真後ろから受けたときの対地速度は毎時1,090 Kmに速まります。逆に正面から向かい風(Head wind)として受けた場合の対地速度は毎時730 Kmに落ちます。
なお、ジェットストリームは真西から真東へ一定の風が吹いているわけではなく風向と風速が変化しながら蛇行しており、蛇行の位置と高度も常に変化しています。また、季節によっても変化します。
それでは飛行時間を計算してみます。
成田空港と、NYのJFK空港の距離は大圏コースで約10,843 Kmですから、大圏コース、すなわち最短距離で、且つ離陸の瞬間から着陸の瞬間まで常に巡航速度の毎時910 Kmで飛んだと仮定すれば所要約12時間です。
つぎに、時速180 Kmのジェットストリームを追い風として真後ろから受け続ける場合の毎時1,090 Kmですと10時間です。
また、正面から向かい風を受け続ける場合の毎時730 Kmですと15時間です。
現実には、空港にジェットストリームは吹いていませんし、加速と、離陸してから所定高度までの上昇時間が必要です。着陸時には減速と下降時間が必要です。加えて、飛行コース自体が最短でなかったり、荒天の空域を避けて迂回したり、離着陸時に旋回したりと、さまざまな要素が加わるので、単純には計算できません。
約1万メートルの巡航高度を飛行している間に限っても、常に正面または真後ろからジェットストリームを受け続けるはずがありません。
下記は、私が複数回出張した中で記録が残っている2002年から2012年までの平均所要時間です。航空会社、機材、さらに季節を無視していますが、ジェットストリームの影響が大きいことが分かります。

所要時間:
①成田→JFK(約10,843 km) 12時間33分(主に追い風)/JFK→成田 13時間43分(主に向かい風)
②成田→LAX(約8,779 km)   9時間53分(主に追い風)/LAX→成田 11時間45分(主に向かい風)
③LAX→JFK(約3,965 km)    5時間30分(主に追い風)/LGA→LAX   6時間10分(主に向かい風)
(JFK: NY John F. Kennedy空港, LGA: NY La Guardia空港, LAX: Los Angeles空港)

私がこれまでに乗った国際線の機材はほとんどがBoeing 747-400型機で、2010年のみがBoeing 777です。777の巡航速度は747より若干遅いですが燃費はかなり良いようで、最大航続距離がなんと17,000 Kmとのこと。
米国内線の機材は忘れましたが、Boeing 757・767、Airbus A320等が使われています。近距離線では、さらに小さな機種です。
ところで、以前は日本からNYへ行くにはアラスカのアンカレッジで給油するのが普通でした。現在は直行便が当たり前です。
私はこんな経験をしました。NY出張のとき「一番安い便で行け!」との社命に従って大韓航空で行ったことがあります。成田からJFK到着まで、何と22時間もかかるのですが、運賃は他社の直行便より安かったのです。
成田を離陸した飛行機は、米国とは逆方向となる韓国の金浦空港に着陸しました。金浦空港は、着陸しようとしている旅客機に向けて大砲が設置されているのが不気味でした。
待合室で1時間ほど待たされ、再び日本上空を経て米国アラスカ州アンカレッジで給油のために再度着陸しました。待っている間、ずっとポテトチップスを食べ続けているメタボの若い女性がいました。
ついでながら、アンカレッジ空港の待合室にはソバ屋さんがあって、日本が頑張っていることを嬉しく感じました。
1983年(昭和58)9月1日にアンカレッジ発の乗客268人を載せた大韓航空Boeing 747型機がサハリン上空で(旧)ソ連軍の戦闘機に領空侵犯をしたとして撃墜されたのは、その出張の直後でした。

Note 3:Pichori』のサイトの渡邉氏曰く「フィリピンの強盗は、先ず殺してから奪い取る」そうです。NYの強盗の方が、まだマシです。
マシとは言え、NY在住の知人宅から数軒先で一家皆殺しという強盗殺人事件がありました。知人は大きなショックを受けてすぐに治安が良い地域に引っ越しましたが、その後も「強盗が複数だとピストルでは対抗しきれないので機関銃を買う!」と真剣に検討し、結局は散弾銃を装備しました。「水平に撃つと弾が隣の家に飛び込むので、階段の上の、あの辺りから斜め下向きに応戦するんだ。」などと研究していました。
さらに、その人は「強盗が敷地に入った時点で射殺するのがベストだ。赤外線カメラで検出と位置決めをして自動的に矢を発射する装置を作る。」とも言っていました。道路から玄関までに垣根はありませんし、強盗と善良な来訪者をどう見分けるのか心配でした。結局、その装置は作らずじまいになりましたので一安心です。
長くなりますが、数軒先で強盗殺人事件があったときの家はロングアイランドのジャマイカエステートと称する地域で、庭にアメリカンチェリーの大木がありました。手が届く範囲で食べまくり、腹一杯になっても、まだまだたくさん残っていました。私としては引っ越さずにいてくれたらありがたいと思いました。

Note 4: 一番取り出し易いポケットといっても上着の内ポケットの場合、相手はピストルを出されると勘ぐって撃たれますから、「ココ!」と指差してください。

外部リンク: MTA (The Metropolitan Transportation Authority)LIRR (Long Island Rail Road)スケジュール・運賃
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在ニューヨーク日本国総領事館新着情報リスト日米桜寄贈100周年
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