『サンフランシスコ ロマ・プリータ地震のTV報道 (CNN) その1 1989』 ネバダ州ラスベガスにて 1989年10月17日(現地時刻)撮影 (サンフランシスコ) (ラスベガス) 日本との時差はこちら。アリゾナ州の位置はこちら。ネバダ州の位置はこちら。カリフォルニア州の位置はこちら。 写真にマウスカーソルを置くと、被害を受けたベイブリッジ(横浜ベイブリッジではありません)の画面に入れ替わります。日本のニュースでは、このシーンが頻繁に登場していました。 これは、アリゾナ州 フェニックスに工場があるICメーカの代理店国際会議でネバダ州ラスベガスに滞在中の出来事です。(フェニックスの写真はこちら) カリフォルニア州サンフランシスコの近郊で発生した、このロマ・プリータ地震はマグニチュード7.1で、発生時刻は17:04です。上の写真の撮影時刻が18:39ですから、地震発生から1時間35分後の映像です。 震源はサンフランシスコの南東80Kです。ここ、ラスベガスは600Km以上離れていますが、ホテルの部屋におりましたところ「ドン・ミシッ」という音と共に少し揺れました。グラグラではなく、「ドン」の1回限りでした。私のように静かな部屋にいた人以外は感じなかったと思います。 「地震? いや、違うかな?」と思っていましたところ、ほどなくテレビで騒ぎ始めました。CNNは、上の写真のほか、大火事のガソリンスタンド、倒れそうになった建物を必死で支える住民の姿などを伝えていました。このロマ・プリータ地震では62名が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたしますとともに負傷者・罹災者・関係するすべての方々にお見舞いを申し上げます。 代理店会議に出席した我々がラスベガスから日本へ帰国するチケットはLAX(ロサンジェルス)空港を経由するようになっており、地震直後にはLAX空港も閉鎖されましたので不安でしたが、何とか帰ることができました。震源地に近いサンフランシスコ空港は、その後も長期間閉鎖されました。 サンフランシスコでは、1906(明治39)年4月18日05:12に近郊のサン・アンドレアス断層で発生したM7.8の地震で約3000人が死亡しています。「サンフランシスコ地震」と言うと、それを指すことが多いです。 同じ北米大陸でも、東岸のNYでは地震がないのに、西側の、特にサンフランシスコ辺りは大地震が甚大な被害をもたらしています。 2024/4/6のコメント: なんと! NYで地震がありました。ETの2024/4/5 10:23にNJ(New Jersey)州を震源とするM4.8の地震が発生。NJでは住宅に軽い被害があったようですが、NYでは揺れただけで被害なしです(たぶん)。ところが、同規模の地震は140年前の1884年以来ですからNYで生まれ育った人は地震の経験がありませんので大騒ぎです。「これは一体何なの?!」です。JFKとラガーディア空港は一時運行停止、電車は徐行運転となりました。真剣に「地中から怪獣が出てくるんじゃないか!」と思った人がいるのではないでしょうか。きっといます。 ところで、海外旅行通は誰でも知っているらしいですが、ラスベガス空港内にスロットマシーンが設置されていることに、先ず驚きました。次に、ホテルの地下のカジノには銀行まであることも驚きでした。 困ったことに同行者は、その銀行で資金を調達し続けて朝までカジノに入り浸りでした。 果たして・・・翌朝7:00に始まった代理店会議の最中は瞼を手で押し上げないと目を開けていられません。しかし、そうやって目は開いていても頭は熟睡状態です。耐えきれずに会議室を抜け出したところ、韓国の代理店の人も椅子で寝ていました。 この経験から、時差ぼけ対策を少し真剣に考えるようになりました。--> 『特集』>『米国の標準時と時差ぼけ』 このラスベガス滞在は、1979年に歌手の田端義夫(2013年4月25日没享年満94歳)さんがスロットマシーンでジャックポットと呼ばれる大当たりで100ドルの元手から29万ドルもの大儲けをしてから丁度10年目で、同行者は柳の下の泥鰌(どじょう)を狙っていました。 スロットマシーンはクォーター(25セント硬貨)を使うものと、1ドル(通貨の1ドル硬貨ではなく交換したメダル)を使うマシーンの2種類があって、私は資金がないためクォーターマシーンでチマチマやっていましたので、当たってもチャリンチャリンという音です。 対して、同行者の1ドルマシーンは当たるとドカドカドカッという景気の良い音をたてながらバケツのような容器にメダルが溜まります。 スロットマシーンはパチンコと同様に、ある程度つぎ込むと、そこそこ稼げるようにコンピュータがプログラミングされているようです。その時点でやめれば儲かるんですが、普通の人はやめられないんですよね。「もう少し続ければ田端義夫のように儲かるかもしれない・・・」と。 結局、同行者は朝まで1,000ドル以上(本人がそう言いましたので、もっと多いはず)をつぎ込み続けたのでした。ラスベガスの巨大なピラミッドや、本物より大きなスフィンクスは、こういう人達が建てたのです。ちなみに、政治家のハマコーこと浜田幸一さん(2012年8月5日没享年満83歳)も、ラスベガスの興隆に貢献なさっています。 ラスベガスでの食事で印象的なのは、寿司と酢豚です。 寿司は、日本人経営のお店なのにネタの鮮度が悪くて閉口しました。赤いはずが黒々としたマグロで、「これ・・・腐ってるよ!」状態です。港から遠いので仕方がないのかもしれません。港から遠いといえば、オハイオのマグロもカツオより黒かったです。 酢豚は、「甘さ」、「酸っぱさ」、そして「しょっぱさ」が完全に分離しています。日本でいただく酢豚とは全然違います。私は味にうるさくありませんが、それでも鮮烈に感じました。このお店は日本人経営ではなかったと思います。 欧米人は味覚が鈍感なのだそうですから、それでもいいのかもしれませんが、それにしても・・・という印象です。これでは「うまみ(Note)」とか「隠し味」など、誰も理解できないだろうな?と感じました。 うるさいことを言っておりますと、「アメリカに行って日本食なんてナンセンス! ステーキを食えばいいじゃないか!」というお声が聞こえます。しっかりステーキも戴いておりますのでどうぞご安心下さい。こちらです。 ★サンフランシスコは、1979年10月に訪問したことがあります。案内をして下さった現地在住の方が、「沖を流れる暖流のお陰で冬も大して寒くない」とおっしゃっていました。 ケーブルカーは残念ながら運休中でしたが、Golden Gate Bridgeに行ったり、Fisherman's Wharf から遊覧ヘリコプタでアルカトラズ島を見たりしました。ヘリコプタは8ドルくらいで、「ここが、かの有名なアル・カポネが収監されていた島か」と、興味深く上空から眺めました。 有名な、ベニハナへも連れて行って下さって、初めてエスカルゴをいただきました。でんでん虫という先入観があるので美味しいとは感じませんでした。 その後の出張時にニューヨーク郊外ナッソー郡のベニハナにも行きましたが、包丁を刀のようにチャリンチャリン鳴らしたり、ドラが鳴ったりで、まるで中国です。これが米国人にはウケるのだそうです。米国から見れば中国も日本も同じオリエントですから、区別は付きませんね。 ★地震に起因する津波(英語でもTSUNAMI(正式にはTidal waveらしいですがCNN等のニュースではもっぱらTsunamiです))の話題は、こちら(2004年12月23日(津波発生は26日))にあります。 Note: 最近(2010年)は、「うまみ」は「UMAMI」として英語化しているそうです。でも、「うまみ」の分かる人がどれだけいるかは分かりません。 「SUSHI」、「SUKIYAKI」と同様に、元々英語になかった名詞は、そのまま取り入れてしまうようです。 |
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