稱名寺・金澤文庫(称名寺・金沢文庫)
真言律宗別格本山 金澤山稱名寺 〒236-0015 神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1 Googleマップ 称名寺
神奈川県立金沢文庫: 〒236-0015 神奈川県横浜市金沢区金沢町142

開基: 北條實時(北条実時)  開山: 審海上人
本尊: 木造弥勒菩薩立像(鎌倉時代の作で国重文)  創建: 正嘉3年(1259)  現在裏山を含めて国指定史跡

今: 金沢山称名寺(きんたくさん しょうみょうじ)・金沢文庫(かなざわぶんこ)  神奈川県横浜市金沢区金沢町
昔: 金澤山稱名寺(きんたくさん しょうみょうじ)・金澤文庫(かねさはぶんこ)  武藏國久良岐郡六浦庄金澤郷

鎌倉時代、この一帯は日宋貿易のための唐船を停泊させるに適した天然の良港、六浦津(むつらのつ)をひかえ、且つ鎌倉と三浦を結ぶ要衝の地であるため、評定衆で引付頭人を兼任する鎌倉幕府重鎮の北條實時が正嘉2年(1258)に別業を設けて統治します。稱名寺はその翌年、正嘉3年(1259年)に開かれました(稱名寺末寺 常福寺阿弥陀三尊像体内文書)。
建治元年(1275)5月、實時は病を得て致仕し別業に移り住んで金澤文庫を創設しました。翌、建治2年10月23日(1276年11月30日)、53歳で卒去します。
金澤文庫は實時没後も北條顕時金澤貞顕金澤貞将と引き継がれて蔵書の充実が図られました。特に貞顕が六波羅探題に勤務するため京に赴任したことは典籍の入手に有利であり、それらの写本に努めたそうです。
正慶2年(南朝元弘3年)(1333)5月22日の新田義貞による鎌倉攻めで金澤氏も鎌倉幕府と運命を共にし、その後は金澤氏菩提寺の稱名寺が管理しましたが、援助する者がいない稱名寺は経営が苦しく、徐々に荒廃しました。江戸初期に徳川家康が持ち出した蔵書は相当な数に上るようです。
金澤文庫は明治30年(1897)に伊藤博文らにより再建されましたが大正12年(1923)の関東大震災で建物が倒壊・消滅、昭和5年(1930)に神奈川県の施設として復興、平成2年(1990)に中世歴史博物館として活動範囲が拡大され現在に至ります。

外部リンク
各地区公式サイト: 神奈川県  神奈川県立金沢文庫
反橋と平橋
の架け替え
掛け替え工事が竣工し2009年4月4日に行なわれた渡り初め式と、2007年から2009年まで2年間を要した工事の様子です。
稱名寺惣門 (赤門) 惣門 (通称 = 赤門)』 明和8年(1771)再建
切妻造、朱塗の四脚門。
稱名寺仁王門 仁王門』 文政元年(1818)再建
禅宗様、入母屋造、軒唐破風付の楼門。
黄菖蒲で縁取られる阿字ヶ池 黄菖蒲で縁取られる阿字ヶ池
稱名寺の苑池は梵字(サンスクリット文字)のアの字に形作られているので「阿字ヶ池」と称され、5月には黄菖蒲で縁取られて見事です。
黄菖蒲が主役の写真はこちら
反橋・平橋と黄菖蒲 反橋・平橋と黄菖蒲
この写真は橋が主役です。
黄菖蒲が主役の写真はこちら
稱名寺金堂 金堂と桜』 天和元年(1681)再建
禅宗様の入母屋造。
桜の季節です。
稱名寺釈迦堂 釈迦堂』 文久2年(1862)建立
禅宗様、廻縁付、宝形造、屋根は茅葺き。
この脇の道を進んで山へ登り、「称名寺市民の森」ハイキングコースを横切って階段を上がると稱名寺開基『北條實時とその一門の墓』があります。
稱名寺鐘楼 鐘楼
金澤八景の『稱名晩鐘』です。
稱名寺光明院表門 光明院表門』 寛文5年(1665)再建 横浜市指定有形文化財
切妻造、袖塀付、茅葺き屋根の四脚門。
稱名寺近くのメジロと桜 稱名寺近くのメジロと河津桜
赤門からシーサイドライン「海の公園柴口駅」へ抜ける細い道路沿いのお宅に河津桜が見事に咲いています。メジロはかなり近寄っても逃げないので、アップで撮ることができました。
稱名寺 赤門脇のしだれ源平桃 赤門脇のしだれ源平桃
1本の木に紅白の花が見事に咲いていて、源氏の白と平家の赤(紅)は拮抗しています。
寄贈元である筋向かいのお宅でも満開です。裏手の木は平家の圧勝、庭先の木は源氏が勝っているようでした。
稱名寺境内のしだれ桜 境内のしだれ桜
稱名寺境内のしだれ桜 アップ 境内のしだれ桜 アップ
稱名寺 苑池の花筏 苑池の花筏(はないかだ)
稱名寺 北條顕時/金澤貞顕墓所前の八重桜 北條顕時/金澤貞顕墓所前の八重桜
八重桜の向こう側が北條顕時北條貞顕父子の墓所です。
稱名寺 北條顕時/金澤貞顕墓所前の八重桜のアップ 北條顕時/金澤貞顕墓所前の八重桜のアップ
稱名寺 北條實時の墓 稱名寺開基北條實時とその一門の墓
北條實時とその一門の墓所は、「称名寺市民の森」ハイキングコースの途中にあります。
金堂右側の釈迦堂前を通過し野原に出たら左折して山へ上がり、尾根道のハイキングコースを横切って階段を上がった突き当たりの場所です。
稱名寺 北條顕時の五輪塔 北條顕時の墓
墓所は、稱名寺から金澤文庫へ至るトンネルの手前右手の一段高い場所です。顕時の墓は、墓所に向かって右側です。門柱の「金澤貞顕公御廟」は間違いであることが確認されたそうです。
北條顕時北條實時の子で、金澤貞顕の父です。
稱名寺 金澤貞顕の五輪塔 金澤貞顕の墓
墓所は、稱名寺から金澤文庫へ至るトンネルの手前右手の一段高い場所です。金澤貞顕の墓は、墓所に向かって左側です。門柱の「北條顕時公御廟」は間違いであることが確認されたそうです。
称名寺市民の森 八角堂からの眺望 称名寺市民の森 八角堂広場からの眺望
中央に稱名寺、その向こうの入江が平潟湾です。左手に八景島・東京湾・房総半島、平潟湾の右奥に野島と、素晴らしい眺めです。
金沢八景 金澤八景』 絵 = 歌川広重 稱名寺(称名寺)と神奈川県立金沢文庫の間の隧道に掲載。
元祿7年(1694)、この地を訪れた明(中国)の心越禅師が、能見堂からの眺望が中国の瀟湘(しょうしょう)八景に似ていると絶賛して命名したそうです。
注意: 「野島夕照」は、「のじまのせきしょう」と読みます。「夕照」は、「ゆうしょう」ではありません。
[語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。
●弥勒(みろく) = ①釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩。兜率天(とそつてん)に住し、釈迦入滅後56億7千万年の後この世に下生(げしょう)して、竜華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するという未来仏。慈氏菩薩。弥勒菩薩。弥勒仏。敏達紀「-の石像一躯有(たも)てり」  ②省略
●禅宗様(ぜんしゅうよう) = 鎌倉時代、禅宗と共に入ってきた宗の建築様式。礎盤・柱の粽(ちまき)・木鼻・組物の形式・詰物・軒の大きな反り・紅梁(こうりょう)・大瓶束(たいへいづか)・火灯窓(かとうまど)・桟唐戸(さんからど)などにその特徴がある。和様建築に大きな影響を与えた。唐様(からよう)。
●切妻造(きりづまづくり) = 切妻構造の屋根。また、広くはそのような屋根をもつ建築の様式。甍造(いらかづくり)。
●入母屋造(いりもやづくり) = 入母屋に造る屋根の様式。法隆寺金堂の屋根の類。また、広くはこの屋根をもつ建築の様式をさす。
●軒唐破風(のきからはふ) = 軒先に造られた唐破風。建物の入口の上に造る。
●唐破風(からはふ) = そり曲がった曲線状の破風。玄関・門・神社の向拝(ごはい)などの屋根や軒に多く造る。
●破風(はふ) = 日本建築で、屋根の切妻(きりづま)についている合掌形の装飾板。また、それのついている所。唐(から)破風・千鳥(ちどり)破風などがある。
●袖塀(そでべい) = 門の両側にある低い塀。
●朱塗(しゅぬり) = 朱色に塗ること。また、塗ったもの。「-の盆」
●楼門(ろうもん) = ①2階造りの門。特に、初重に屋根のない1重屋根のもの。  ②③省略
●方形造(ほうぎょうづくり) = (「宝形造」とも書く)屋根の形式の一。隅棟(すみむね)が屋根中央に集まるものをいう。地方によっては大棟のある寄棟造を指すこともある。
●寄棟造(よせむねづくり) = 屋根の形式の一。四つの流れを組み合せた屋根。大棟の両端から四隅に降(くだり)棟の降りている屋根。なお、地域により、正方形平面で1点集中のものを指すことがある。
●夕照(せきしょう) = ゆう日のひかり。ゆうばえ。ゆうやけ。

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