『稱名寺 北條顕時の墓』 2008年4月19日撮影 写真にマウスカーソルを置くと、説明板に入れ替わります。新しいレンズ(EF16-35mm f/2.8L II USM)で2008年11月1日に撮りなおした写真です。 墓所に向かって右側の五輪塔です。門柱の表記は「金澤貞顕」となっていますが、説明板によれば、これは貞顕の父北條顕時の五輪塔なのだそうです。 また、説明をして下さるボランティアの方によれば、こちらの五輪塔の方が古く鎌倉時代のものであることと、青磁の壷が発見されたことから貞顕の父顕時の供養塔であり、左側の五輪塔は南北朝期のものなので子息の貞顕の供養塔ということで間違いないとのことです。 正嘉3年(1259)に稱名寺(称名寺)を開き金澤文庫を創建したのは、顕時の父北條實時(北条実時)です。稱名寺と金澤文庫は、顕時、貞顕、貞将と受け継がれ整備されます。 貞顕は正慶2年(南朝元弘3年)(1333)5月23日の新田義貞による鎌倉攻めの際、鎌倉東勝寺で北條一門と共に自決しました。これにて鎌倉幕府滅亡。 この合戦で貞将は東勝寺から敵陣へ打って出て壮絶な戦死を遂げたとのこと。 『歴史年表』(PDF)をご参照下さい。 北條實時の墓はこちら。實時の孫、金澤貞顕の墓はこちら。 |
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