『金澤貞将 (金沢貞将)(かねさは さだゆき(Note)) 姓は北條』
父: 北條貞顕
生誕: 正安4年(1302)
没年: 元弘3年(1333)5月22日  享年: 32歳  場所: 鎌倉(下記参照)

文保2年(1318)、評定衆。官途奉行。引付五番頭人。
正中元年(1324)、越後守。引付三番頭人。同年11月1日、六波羅探題南方就任のため五千騎(父貞顕のときは千騎)の軍勢を引き連れて上洛。執権探題兼任。
嘉暦2年(1327)、武藏守。
元徳2年(1330)閏6月28日、六波羅探題南方を退任して鎌倉へ戻る。同年、引付一番頭人。
元弘3年(1333)5月21日、新田義貞による鎌倉合戦の最中、16代執権北條守時より相模守に任ぜられる。翌22日、東勝寺に一時戻ったとき北條高時から六波羅南方/北方両探題に任ずる旨の御教書を受け取り鎧にしまうと敵陣に再度打って出て壮絶な戦死。
子は忠時、敦時。

Note: 「さだまさ」ではなく、「さだゆき」と読むのが正しいようです。

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