金澤八景 (金沢八景) (Note 1)
絵 = 歌川広重(Note 2)  稱名寺(称名寺)と神奈川県立金沢文庫の間の隧道に掲載













洲崎晴嵐 (すさきのせいらん)













瀬戸秋月 (せとのしゅうげつ)











小泉夜雨 (こずみのやう)













乙艫歸帆(乙舳帰帆) (おっとものきはん)

















稱名(称名)晩鐘 (しょうみょうのばんしょう)














平潟落雁 (ひらがたのらくがん)













内川暮雪 (うちかわのぼせつ)














野島夕照 (のじまのせきしょう)
清に滅ぼされた明からの亡命僧で徳川光圀に仕える東皐心越禅師(とうこうしんえつぜんじ)が元祿7年(1694)、ここ武藏國金澤の能見堂(擲筆山(てきひつざん)地蔵院)を訪れたおりに眺望が中國の瀟湘(しょうしょう)八景に似ていると絶賛して『武州能見堂八景詩』を詠みました。すなわち金澤八景です。
金澤八景という名称自体は慶長年間から存在したらしく、また景勝の地であることは平安時代から世に知られており、絵師 巨勢金岡(こせのかなおか)がこの絶景を描こうとして描けず、松の根元に筆を捨てたという伝承があるそうです。

注: 「野島夕照」は、「のじまのせきしょう」と読みます。「夕照」は、「ゆうしょう」ではありません。(Note 3)
ところで、野島に夕照橋があります。私は「せきしょうばし」と読むのが適切と思いますが、地元に永く住む人も「ゆうしょうばし」と呼んでいます。

[語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。
Note 1: 金沢八景 = 金沢①(Note 1-1)にある洲崎晴嵐・瀬戸秋月・小泉夜雨・乙艫帰帆・称名晩鐘・平潟落雁・野島夕照・内川暮雪の8景で、明の心越禅師の命名。
Note 1-1: 金沢 = ①横浜市の区の一。東京湾に面し、称名寺・金沢文庫など鎌倉時代の史跡がある。 ②石川県金沢市・・・以下省略。
Note 2: 歌川広重 = 江戸時代末期の浮世絵師。本姓、安藤。一立斎と号。江戸の定火消同心の子。歌川豊広の門人。詩情豊かな風景版画の連作に名をなし、また花鳥画にも新境地を開いた。作「東海道五十三次」「名所」「名所江戸百景」など。(1797~1858)
Note 3: 夕照(せきしょう) = ゆう日のひかり。ゆうばえ。ゆうやけ。

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