『北條顕時 (北条顕時)(ほうじょう あきとき) また金澤顕時』
父: 北條實時
母: 7代執権北條政村の女(むすめ)
生誕: 寶治2年(1248)
妻: 安達泰盛の女(むすめ)千代野
没年: 正安3年5月7日(1301年3月28日)  享年: 54歳
墓所: 称名寺 北條顕時の墓

正嘉元年(1257)11月23日、元服。
文應元年(1260)、将軍家疵番衆。宗尊親王に仕える。
文永2年(1265)、左近将監に補任。
文永6年(1269)、引付衆。
建治4年(1278)、評定衆。
弘安3年(1280)、越後守。
弘安4年(1281)、引付四番頭人。
弘安6年(1283)、従五位上。
弘安8年(1285)、霜月騒動に連座し下総國埴生庄に蟄居。出家して恵日と名乗る。
永仁元年(1293)4月、9代執権北條貞時が平禅門の乱で平頼綱を倒し、顕時を鎌倉へ召喚。復権。
永仁元年(1293)10月、執奏。
永仁2年(1294)、引付四番頭人。
永仁4年(1296)、引付三番頭人。

北條實時と同じく清原教隆に師事して儒学を学ぶ。父の志を汲み金澤文庫蔵書の充実を図って文庫の興隆に貢献。
子は顕弁(圓城寺長吏、(甘縄)顕實、時雄(顕雄とも)、貞顕、顕景、名越時如妻、千葉胤宗妻、足利貞氏妻。

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