『曾祖父 太田捨吉』 元治元年(1864)-大正8年(1919) 享年56歳 私のひいお爺ちゃんである捨吉は、水戸藩士にとって最大の悲劇(Note 1)であり凄惨な内戦状態に陥った天狗争乱の真っ最中に誕生しました。 翌年には捨吉の父太田九藏藏吉歳就(私の高祖父)が『慶應元年(1865)10月25日(1865/12/12)の一件』に連座し政治犯として水戸赤沼牢に投獄され、慶応3年(1867)没。推定46歳。江戸幕府の命にて赤沼牢から解放されたはずですので、獄死ではないようです。 その結果、弱冠4歳の捨吉が太田氏の家督を継ぎ、捨吉は苦労人である母きむ(楓小路の三宅八三郎五女)の庇護の下に成長しました。きむの実家は、我が家から僅か数軒先です。 捨吉は勉学に励み、警察官となって太田氏を再興しました。母きむが大正7年(1918)に85歳で没すると、後を追うように翌大正8年(1919)年に56歳で没しました。口碑では「過労死」です。市民の生活を守ろうとする自筆のメモが残されています。警察官は「オイ コラ」と威張っていた時代ですが、捨吉はそうではありませんでした。 上記は、何れも水戸新屋敷花小路(現 水戸市新荘3丁目)に居住している頃の出来事です。 なお、「捨吉は水戸警察署の初代署長になった」という口碑がありますので水戸警察署を訪ねて確認しようとしましたが、成りませんでした。歴代の署長名簿には初代とされる人の前にも氏名が記されている状態で、何れにしても捨吉の名は発見できませんでした。 突然の訪問者に快く、且つ親切に対応して下さった警部補がおっしゃるには、「当時は混乱していたし、組織が改編されたので確認は難しい。」とのことでした。さらに「勲八等瑞宝章(Note 2)を受章されているので公文書館に資料があるのでは?」とサゼションを賜わりましたので国立公文書館に行きましたが、水戸警察署長になったという事実は確認できませんでした。 Note 1: 水戸藩士にとって最大の悲劇は天狗騒乱ですが、水戸領民にとっての最大の悲劇は、私は水戸藩士によって村民が皆殺しにされた生瀬一揆だと思います。 Note 2: 勲八等瑞宝章の勲章はこちら。 |
トップページ>『故地』>『曾祖父 太田捨吉』 捨吉の母『きむ』 捨吉の妻『ゑい』 捨吉の長男夫婦『温 & ウン』 『太田氏系圖(PDF)』 |