『多気(たき)城跡と筑波山』 常陸國筑波郡北條 = 茨城県つくば市北条 承平5年(935)から永暦元年(1160)頃まで、多気と水守に239年間在住 2002年3月撮影 カメラ機種名: Fuji Film FinePix4500, レンズ: カメラ内蔵 35mm換算36mm固定 常陸大掾であり常陸平氏惣領の多気太郎義幹居城多気城跡のある多気山(城山(じょうやま))の遠景。その向こうの高い山は筑波山。 鎌倉時代初期の建久4年(1193)に源頼朝によってこの地を逐われた多気義幹と、元治元年(1864)筑波山で天狗党の旗揚げをした藤田小四郎が重なって見えるようです。 多気城の最初の築城者は常陸平氏祖の平維幹であると私は見ておりますが、その曾孫の平致幹という説もあります。(現在の遺構の多くは、後世の小田氏か佐竹氏によるものらしいです。) 致幹の子直幹がその子4兄弟(『桓武平氏略系図(PDF)』参照)の長男以外に仁平元年(1151)またはその少し前から承安4年(1174)までに常陸國の領地を割譲しました。私の先祖である5男の忠幹は、常陸國最南端の東條五郷を与えられて引っ越して行きます。長男の義幹は安元2年(1176)に父直幹と母を殺害して、ここ多気の地を相続したとする説があります。 |
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