『水府系纂(すいふけいさん)目録』 |
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上のキーボードをクリックしたときに表示される目録に存在する家の系図が水府系纂(Note 1)に集録されています。表示される目録は、茨城県立歴史館(以下 歴史館)が作成された手書きの『水府系纂目録』を私が転記したものです。 水戸藩士のご後裔であって、且つリストにご先祖のお名前を発見することができれば、ご自宅に系図がなくても心配ありません。ただし、集録されている系図はご先祖の肉筆ではなく、藩士から提出された系図を吟味(Note 2)のうえ藩の担当者(物書き、祐筆)が筆写したものです。 水府系纂の原本は茨城県水戸市の公益財団法人徳川ミュージアムに厳重に保管されていて、閲覧することができなくなりました。電子化されたデータは、東京都世田谷区のレファレンスルームで祝祭日や年末年始等を除く平日のみ閲覧・複製頒布のサービスを利用することができます。たぶん、水府系纂は現存する全巻が電子化されていると思います(Note 3)。 サービスを受けるには有料の年間登録や予約が必要ですので、下記公益財団法人徳川ミュージアムのサイト内、「東京レファレンスルーム」のページでご確認ください。 水府系纂へのアクセスは、歴史館が所蔵する「複写版」の方が楽です。 ただし、複写版であるため複製(コピー)が許可されません。閲覧室で書き写すしかありませんが、閲覧室の利用は無料、駐車場も閲覧が目的なら無料でした。 閲覧室を利用するには、身分を証明する、例えば運転免許証を提示して年間登録が必要ですが、無料ですし、行ってその場で手続ができ、即座に閲覧することができます。 歴史館で閲覧を申し込むには、「巻(まき)」の番号を指定しなければなりません。上記キーボードをクリックしたときに表示されるリストで確認してから行動を開始して下さい。同一の巻番号でも上・中・下と分割されている巻がありますので、これも指定して下さい。(Note 4) Note 1: 『水府系纂(すいふけいさん)』 水戸藩士の出自と出仕後の履歴、すなわち系図を集録した史料。 水戸藩では、先ず慶長8年(1603)から寛文8年(1668)までに出仕した藩士の系図を集録した「水府實録(すいふじつろく)」が寛文9年(1669)に作られたが、元禄12年(1699)に2代藩主徳川光圀が「水府實録」の誤謬を改め、新たに正確な系図と出仕後の履歴の編纂を命じて佐野郷成らにより水府系纂の編纂が開始され、藩士数十家の系図・履歴を1巻にまとめて、先ず60巻が作られた。 その後、藩に出仕する者を追加集録して巻が重ねられ、慶應3年(1867)までに全100巻(うち目録が2巻(巻99と巻100))となる。 絶家となった系図も、そのまま保存されている。「巻58上」と「巻61」は欠本で原本なし(Note 5)。 Note 2: 藩士から提出された系図をそのまま信用することなく、藩が調査・確認のうえ水府系纂に集録したそうです。虚偽の系図を提出して罰せられた例があるそうですから、一定の信頼性は確保されていることが期待できます。 Note 3: 2019年の時点でも電子化はされておらず、1巻が1冊で10冊まで同時に閲覧できるそうです(江戸崎土岐氏旧臣内田様より情報ご提供 on Oct., 2019)。また、閲覧許可証(会員証)の有効期限は2年間とのことです。内田様、ありがとうございます。 Note 4: 巻25・46・47・49・55・56・57・58・59は上・下、巻60は上・中・下に分割されています。 Note 5: ・ 「巻58上」と「巻61」が欠本となった理由は不明です。 ・ 水府系纂からの脱漏分の一部は石川治家文書24-1と24-2に集録されているようで、上記キーボードをクリックしたときに表示されるリストに含まれます。その場合は水府系纂でなく、当該文書を参照する必要があるかもしれません。歴史館に複写版があると思いますが、石川治家文書を彰考館が保有しているか否かは分かりません。 附記 この水府系纂目録は、公益財団法人徳川ミュージアムの東京レファレンスルームや歴史館での閲覧に先だって系図が集録されているか否かをお知りになりたい方の便宜をはかるために掲載しました。 各リストに「?は文字不明」とある場合、歴史館の方が手書きで記録された(たいへんな作業です)目録のたった1文字を私が読み取れないことを意味します。 その他の文字も、私が「これしかない!」と勝手に判断したフォントです。したがいまして、「文字が似ているけど・・・少し違う?」という方は、ぜひその巻を閲覧なさって下さい。当該文字はたぶん系図の複数の箇所に書かれていますから、閲覧されれば確認ができると思います。 ★平成22年(2010)4月25日: 「む」のページの梅澤氏、梅村氏、梅津氏、合計6家を、「う」のページにコピーしました。 「梅」は「うめ」ではなく「むめ」ですから「む」にあればいいのですが、現代人は「う」のページを捜してしまいます。そこで、本来の「む」に加えて「う」にも置きました。恥ずかしながら私は、元水戸藩士で現代の親戚である梅村氏が水府系纂には載っていないと、長期間そう思っていました。 ★平成28年(2016)12月16日: 「中根 佐左衞門某」がダブっていましたので一方を削除しました。 外部リンク: 公益財団法人徳川ミュージアム公式サイト 各地区の公式サイト: 茨城県>水戸市・茨城県立歴史館 トップページ 『先祖調査メモ』>『水府系纂目録』 『お便り』 Copyright © 2002- Sam Ohta/JA1POP All Rights Reserved. |