『東條太田城跡 虎口とみられる遺構 全景』 茨城県稲敷市下太田 永暦元年(1160)頃~天正18年(1590) 約430年間在住 2014年10月11日撮影 カメラ機種名: Canon EOS 5D Mark III, 撮影モード: 絞り優先AE, 絞り数値: 2.8, シャッター速度: 1/1600, 測光方式: 評価測光, 露出補正: +1/3, ISO感度:100, ホワイトバランス: オート, 長秒時露光のノイズ低減: 自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 弱め, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 標準, 周辺光量補正: する,色収差補正: する レンズ: EF24-70mm f/2.8L II USM, 焦点距離 24.0mm, 画像サイズ: 5760x3840を1024x683にリサイズ 現在の出入り口である南側の(旧)太田小学校(Note 1)裏から上がってくる道路は、ここ東條太田城跡地に(旧)太田中学校(Note 2)を建てるときに取り付けられたのだそうです。 東條太田城が健在だった頃は現在より海面が高く、こちらの地図のように南側は目の前まで汽水が迫っていました。したがって、南側には虎口を設けられなかったと推測できます。 それでは当時の虎口はどこ? それがこの場所かもしれません。北の方向へ掘り下げたような地形で、大きくえぐれています。自然の地形とは思えません。 この場所を大手と仮定した場合、搦手はどこでしょうか。ここ主郭から一段低い西側に中段の郭があります。どうやら中段の郭との連絡路は、こちらのようです。そうだとしますと中段の郭の出入り口、すなわち東條太田城としての搦手はこちらということになりそうです。 2016年の全景はこちら。上の写真に矢印で核心部を示した写真はこちら。核心部はこちら。核心部へ分け入った写真はこちら。 写真の場所へ降りて振り返った写真はこちら。写真右上の、刈り取った孟宗竹が積み上げられている場所から西側を見た写真はこちら。 この場所を大手と仮定して、搦手とみられる場所はこちら。 画像にマウスカーソルを置くと、『余湖くんのホームページ』の余湖さんが描いて下さった東條太田城跡の鳥瞰図に赤い矢印を置いて大まかな撮影場所と撮影方向を示す図に入れ替わります。 稲敷市M様が仰るには「この場所には孟宗竹が繁茂していて、それを刈り取ったらこの地形が現われた。」とのことです。余湖さんは虎口という認識はなかったかもしれませんが、鳥瞰図が孟宗竹が繁茂している状態で描かれたことを考慮すれば、まさに驚愕です。核心部を除いて地形が正確に描かれています。 ところで、西側に中段の郭(現在は共同墓地)が設けられていますから、当然そこからも主郭へアクセスできなければなりません。しかし常設の階段のようなものでは侵入者もアクセスできてしまいますので、西側には非常時に素早く撤去できる梯子のようなものがあったかもしれません。 Note 1: (旧)太田小学校についてはこちら Note 2: (旧)太田中学校についてはこちら 外部リンク 美浦村お散歩団>お城歩き>稲敷郡域>東条城(太田城) 余湖君のホームページ>茨城県の城址>稲敷市(旧新利根町)>東条城 |
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