千年前の地形

『千年前の地形』  Googleマップ 東條太田城跡   この現在の地図と比較してみて下さい。
東條忠幹が東條太田城を築いた永暦元年(1160)の頃は現在より海面水位が高かったため、このような地形だったようです。東條太田城の南側は湿地の向こうに汽水の内海である香取海が迫っていたと想像されます。したがって東條太田城の出入り口は現在のような南側にはなく、大手が北側、そして搦手が西側にあったのではないかと推測します。
その当時の『常陸・北下総の荘園公領図』はこちら

なお、銚子の西の大きな湖「椿海(つばきのうみ)」については『歴史年表(PDF)』の寛文8年(1668)以降に少し書いております。

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