『東條太田城跡西側の共同墓地』 常陸國信太郡東條太田 = 茨城県稲敷市下太田 永暦元年(1160)頃~天正18年(1590) 約430年間在住 2002年5月撮影 カメラ機種名: Fuji Film FinePix4500, レンズ: カメラ内蔵 35mm換算36mm固定 この写真は、ほぼ北から南方向を撮っています。「美浦村お散歩団」のひづめさんによれば、ここ共同墓地(撮影者の私がいる場所の左側から前方と背後の墓地一帯)は東條太田城の中段の郭とのこと。すなわち、腰郭です。 同じくひづめさんによれば写真の右端が姿隠しの土累であり、ここに潜んで、下から攻め上がってくる敵に矢を射かけたのでしょう。 この中段の郭の左側がさらに一段高くなっており、その上が主郭(現在は東海建材の工場敷地(Note))です。 そして、写真左手の最奥部から上の主郭へ上がることができるようですので、この場所が搦手の出入り口であったと推測できます。大手の虎口と思しき遺構は北側のこちらです。 なお、写真左手の少し先に木がこんもり繁っています。この場所は主郭から張りだしていて横矢掛りとなっており、中段の郭へ浸入した敵を攻撃できます。 写真の右手、やや下に見える墓地の最奥部に土岐頼英・虎姫夫妻の墓があります。 東條太田城跡西側の遠景はこちら。南から見た東條太田城跡の全景はこちら。 Note: 2014年の時点で、主郭跡の敷地のオーナーは東海建材から稲敷市のM様へ移転しており、工場の建物はこのとおり全て撤去されました。 外部リンク: 専門的解説は下記サイトをご参照ください。 美浦村お散歩団>お城歩き>東条城(太田城) 余湖くんのホームページ>茨城県の城址>稲敷市(旧新利根町)>東条城(新利根町下太田) |
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