『東條太田城跡 虎口とみられる遺構 全景 2016』 茨城県稲敷市下太田 永暦元年(1160)頃~天正18年(1590) 約430年間在住 2016年2月11日 13:46:12 撮影 カメラ機種名: Canon EOS 5DS R, 撮影モード: 絞り優先AE, 絞り数値: 8.0, シャッター速度: 1/250, 測光方式: 評価測光, 露出補正: 0, ISO感度:160, ホワイトバランス: オート, ピクチャースタイル: ディテール重視, 測距エリア選択モード: 領域拡大AF:周囲, 長秒時露光のノイズ低減: 自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 標準, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 強め, 周辺光量補正: する,色にじみ補正: する, 歪曲補正: する, 画質: RAW レンズ: EF16-35mm f/2.8L II USM, 焦点距離 22.0mm, 画像サイズ: 8739x5826を1024x683にリサイズ 2016年2月の様子です。右手の人影(私の娘と孫、もっと右に長男が見えます)の大きさから、この遺構の雄大さを分かっていただけると思います。この写真の原画はこちら(約56MB)。 人がいるスロープは、最近の作です。こちらの2014年の写真と見比べていただくと分かります。 現在の出入り口である南側の(旧)太田小学校(Note 1)裏から上がってくる道路は、ここ東條太田城跡地に(旧)太田中学校(Note 2)を建てるときに取り付けられたのだそうです。 それでは当時の虎口はどこ? それがこの場所のようです。掘り下げたような地形で、大きくえぐれています。自然の地形とは思えません。 この構図で核心部を矢印で示した写真はこちら。 写真の場所へ降りて振り返った写真はこちら。核心部はこちら。核心部へ分け入った写真はこちら。再び上に上がって上の写真の右上に見える、刈り取った孟宗竹が積み上げられている場所から西側を見た写真はこちら。 この場所を大手と仮定して、搦手とみられる場所はこちら。 画像にマウスカーソルを置くと、『余湖くんのホームページ』の余湖さんが描いて下さった東條太田城跡の鳥瞰図に赤い矢印を置いて大まかな撮影場所と撮影方向を示す図に入れ替わります。 稲敷市M様が仰るには「この場所には孟宗竹が繁茂していて、それを刈り取ったらこの地形が現われた。」とのことです。余湖さんは虎口という認識はなかったかもしれませんが、鳥瞰図が孟宗竹が繁茂している状態で描かれたことを考慮すれば、まさに驚愕です。核心部を除いて地形が正確に描かれています。 ところで、西側に中段の郭(現在は共同墓地)が設けられていますから、当然そこからも、ここ主郭へアクセスできなければなりません。しかし常設の階段のようなものは見当たりませんので、西側には非常時に素早く撤去できる梯子のようなものがあったかもしれません。 Note 1: (旧)太田小学校についてはこちら Note 2: (旧)太田中学校についてはこちら 外部リンク 美浦村お散歩団>お城歩き>稲敷郡域>東条城(太田城) 余湖君のホームページ>茨城県の城址>稲敷市(旧新利根町)>東条城 |
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