『東條太田城跡 主郭南端から見下ろす中段の郭(腰郭)』 茨城県稲敷市下太田 永暦元年(1160)頃~天正18年(1590) 約430年間在住 2016年2月11日 13:51:46 撮影 カメラ機種名: Canon EOS 5DS R, 撮影モード: 絞り優先AE, 絞り数値: 8.0, シャッター速度: 1/250, 測光方式: 評価測光, 露出補正: 0, ISO感度:250, ホワイトバランス: オート, ピクチャースタイル: ディテール重視, 測距エリア選択モード: 領域拡大AF:周囲, 長秒時露光のノイズ低減: 自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 標準, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 強め, 周辺光量補正: する,色にじみ補正: する, 歪曲補正: する, 画質: RAW レンズ: EF16-35mm f/2.8L II USM, 焦点距離 16.0mm, 画像サイズ: 8961x5974を1024x683にリサイズ 当時の中段の郭は、現在はこの下の共同墓地です。東條太田城が存在した当時もこういう地形だったとすれば、竹林の手前を左方へ進めば画面左端から主郭へ上って来ることができそうです(Note)。中段の郭と主郭の連絡路は、この写真の左手だったかもしれません。 搦手とみられる中段の郭の入口から浸入しようとする敵は、まず姿隠しの土塁からの攻撃を受けます。それを突破すると、次に左手の横矢掛りから矢を射られます。それも突破できると、この下へ至ることができます。すると、この写真の撮影者(私)がいる場所からの攻撃を受けます。 そういう次第で、中段の郭の最奥部に位置する、この写真の左手が中段の郭と主郭の連絡通路だったかもしれません。 ところで、主郭東側から南側に連なる切岸と犬走り状遺構が画面の右半分の辺りにも存在するように見えます。特に南側のこの写真の場所からここまでは、ほんの少しです。次回の訪問時に確認したいと思います。また、共同墓地側からも再度見てみたいと思います。 お墓の向こうに見える緑色の屋根の建物は、(旧)太田小学校の体育館です。その右手向こうに見えるこんもりした木々の場所も小高い丘になっていて、美浦村お散歩団の樋詰さんが「ここにも遺構らしきものが存在するので東條太田城の関連施設だろう」と仰っています。 画像にマウスカーソルを置くと、『余湖くんのホームページ』の余湖さんが描いて下さった東條太田城跡の鳥瞰図に赤い矢印を置いて大まかな撮影場所と撮影方向を示す図に入れ替わります。 Note: 2016年2月のコメント: もし共同墓地から上がることができても、主郭へは入らないで下さい。主郭敷地はセキュリティと安全面から全域がセンサーの検知範囲となっています。この土地のオーナに無断で立ち入りますと警備員が飛んで来ますのでご注意下さい。私の出仕先が契約している警備会社では夜間に警報が出た場合は警察へ通報することになっており、パトカーが駆けつけてきます。 外部リンク 美浦村お散歩団>お城歩き>稲敷郡域>東条城(太田城)>南側の丘にも遺構らしきもの 余湖君のホームページ>茨城県の城址>稲敷市(旧新利根町)>東条城 |
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