新屋敷 (しんやしき) |
現在の水戸市新荘一帯は、つぎのような歴史があります。 ◎寛文6年(1666)、水戸藩附家老中山氏は備前守信治のとき見和新田を藩府へ納め、代替地の常葉村(水戸市新荘一帯)へ家士を移して開拓、新屋敷と称す。 ◎寛政6年(1794)頃、中山備前守は家士と共に中手綱(高萩市)へ移り新屋敷は陸田となる。 ◎天保7年9月10日(1836/10/19)、水戸9代藩主徳川齋昭37歳が経費削減のため、金のかかる江戸詰藩士を国元へ戻すことを目的として陸田となっていた嘗ての新屋敷に再度屋敷割りを行なう。梅・松・楓(当初は紅葉)・柳・花・櫻・桃・桐・柏・常磐という10小路があり、門が面している小路名が各家の住所となる(太田家は花小路)。 ◎昭和43年(1968)4月、住居表示により小路名が廃止され、5月から新しい町名となる(太田家は新荘3丁目)。 ◎昭和60年(1985)代になって、由緒ある旧町名を歴史に残すため水戸市により、花小路碑、楓小路碑等の石碑が設置された。 |
トップページ>『故地』 『先祖調査メモ』>『水府系纂目録』>『な』(中山氏) 『PDF Files』>『歴史年表』 |