『鹿嶋神社本殿彫刻』 茨城県東茨城郡城里町高久 昭和49年(1974)4月20日 (旧)桂村より文化財に指定 2011年7月17日撮影 カメラ機種名: Canon EOS 5D Mark II, 撮影モード: 絞り優先AE, シャッター速度: 1/200, 絞り数値: 2.8, 測光方式: 評価測光, 露出補正: 0, ISO感度:400, ホワイトバランス: オート, 長秒時露光のノイズ低減: 自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 標準, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 標準, 周辺光量補正: する レンズ: EF24-70mm f/2.8L USM, 焦点距離 55.0mm, 画像サイズ: 5616x3744を1024x683にリサイズ 以下、説明板より引用。 城里町指定文化財 鹿島神社本殿彫刻 鹿島神社の創建は光仁天皇の御代、天応元年社殿を造り休塚明神と称す。 本殿彫刻は、廃寺となった吉祥院(Note)のものといわれ、中国の故事が巧みに表現されており、その精巧さは近隣では極めて珍しい。作者は不明である。 昭和50年5月日光の名工によって塗りかえられた。 城里町教育委員会 Note: 13世紀末の佐竹行義6男、馬淵小三郎景義が高久へ移って高久氏を名乗る。高久城を築くが天文12年(1543)に城主が伊達氏との戦いで討死したため廃城となる。高久氏の祈願所であった普及山神宮寺吉祥院が幕末に廃されるとき、見事な彫刻であるとして鹿嶋神社へ移築されたという。高久城は鹿嶋神社の南東700 m。その北西に存在した吉祥院までは鹿嶋神社から僅か170 m。 |
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