『鎌倉壽福寺(寿福寺) 外門と山門』 2009年4月5日撮影 カメラ機種名: Canon EOS 40D, 撮影モード: 絞り優先AE, 絞り数値: 11.0, シャッター速度: 1/45, 測光方式: 中央部重点平均測光, ISO感度: 400, ホワイトバランス: オート レンズ: EF16-35mm f/2.8L II USM, 焦点距離: 29.0mm(35mm換算=46.4mm), 画像サイズ: 3888x2592を1024x683にリサイズ 手前が外門、奥に見えるのが山門です。 正しくは『臨済宗 亀谷山(きこくさん)壽福金剛禪寺(じゅふくこんごうぜんじ)』。 正治2年(1200)に開山を明庵栄西とし、開基北條政子(または源実朝、また源頼家とも)が開きました。(Note) 北条政子の墓はこちら。源実朝の墓はこちら。源氏山の碑はこちら。 壽福寺は、明月院とともに私の先祖調査に於ける恩人『宮本茶村』ゆかりの地です。 Note: 下記のように源氏と平氏は婚姻関係を結んで共存・共栄を図っていました。『歴史年表(PDF)』より引用 長元4年(1031)、平直方は東国の本拠地としてこの場所に居を構え、平忠常追討で誼を通じた源頼信の男頼義を女婿として迎えて館を譲る。以後、清和源氏棟梁の『鎌倉の楯(館)』として義家・為義・義朝・義平と受け継がれた。 治承4年(1180)8月17-18日、平家に対して挙兵した源頼朝は石橋山の敗戦後、房総半島を経て兵を増し相模國に至る。その兵の多くは、東国の平氏だった。 10月7日に鎌倉入りした頼朝は、当初、この地に本拠を構えようとしたが、既に岡崎義実が源義朝を弔う堂宇を建てていたので大蔵の地に変更した。その大蔵が鎌倉幕府発足の地となる。 |
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