鎌倉壽福寺 北條政子の墓

『鎌倉壽福寺(寿福寺) 北條政子の墓』 Googleマップ 寿福寺  2009年2月11日撮影
カメラ機種名: Canon EOS 40D, 撮影モード: プログラムAE, 絞り数値: 5.6, シャッター速度: 1/180, ISO感度: 400, 測光方式: 中央部重点平均測光
レンズ: EF16-35mm f/2.8L II USM, 焦点距離: 35.0mm(35mm換算=56.0mm), 画像サイズ: 3888x2592を1024x683にリサイズ
ストロボ: 発光, ストロボの種類: 外部E-TTL (Canon スピードライト580EX II), 調光補正: +1


境内の一番奥、源氏山の麓に掘られたやぐらの一つです。
源頼朝と政子の間に生まれた鎌倉3代将軍源実朝の墓も、この右手にあります。
政子と実朝墓の案内標識は、寿福寺にも鎌倉駅西口からの今小路にも設置されているので、すぐに分かります。
壽福寺の外門はこちら。源実朝の墓はこちら。源氏山由緒書の碑はこちら。(
Note)
壽福寺は、明月院とともに私の先祖調査に於ける恩人『宮本茶村』ゆかりの地です。

Note: 下記のように源氏と平氏は婚姻関係を結んで共存・共栄を図っていました。『歴史年表(PDF)』より引用
長元4年(1031)、平直方は東国の本拠地としてこの場所に居を構え、平忠常追討で誼を通じた源頼信の男頼義を女婿として迎えて館を譲る。その後、清和源氏棟梁の『鎌倉の楯(館)』として義家・為義・義朝・義平と受け継がれた
治承4年(1180)8月17-18日、平家に挙兵した源頼朝は石橋山の敗戦後、房総半島を経て兵を増し相模國に至る。その兵の多くは、東国の平氏だった。
10月7日に鎌倉入りした頼朝は、当初、この地に本拠を構えようとしたが、既に岡崎義実が源義朝を弔う堂宇を建てていたので大蔵の地に変更した。その大蔵が鎌倉幕府発足の地となる。

[語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。
やぐら(矢倉・窟) = (イハクラ(岩倉)の訛か)岩石に穴を掘って物を貯蔵しておく倉。また、墓所。鎌倉地方に多い。

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