『来迎院多宝塔』 東條氏の領地西端の茨城県龍ヶ崎市馴馬町 2002年5月撮影 カメラ機種名: Fuji Film FinePix4500, レンズ: カメラ内蔵 35mm換算36mm固定 平安時代後期の永暦元年(1160)頃から鎌倉時代を経て永年にわたって、この一帯を統治してきた我が東條氏は南北朝内乱期に南朝方へ与したため衰退し、関東管領山内上杉憲顕の被官として江戸崎に移住して来ていた土岐氏の麾下に、遅くとも天文22年(1553)までに取り込まれました。 東條氏が土岐氏と争った形跡がないことと、両者が姻戚関係を結んでいることから、平和裡に東條氏が土岐氏に臣従したものと思われます。 一方、衰退していた来迎院は弘治2年(1556)5月、この地を支配する土岐氏が主体となって東條小野(稲敷市小野)の逢善寺住職覺仙(覚仙)により中興され、多宝塔も修復されました。 江戸後期の考証学者宮本茶村の調査によれば、中興に関わった多くの協力者名が多宝塔相輪の宝珠にリストアップされており、既に土岐氏の配下となっていた東條氏も含まれます。 [語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。 ●多宝塔(たほうとう) = 釈尊・多宝2仏や大日如来をまつる塔。円形平面の単層の宝塔の下層に裳階(もこし)をつけた塔形で、密教寺院に多い。上に相輪を立て、四隅に鎖をかける。日本では平安前期から造られたが、現存するものでは、鎌倉時代建立の石山寺のものが最古。 ●裳階(もこし) = 建物の軒下壁面に造られる庇(ひさし)様の差掛(さしかけ)これのある建物を雪打造(ゆたづくり)という。法隆寺金堂・薬師寺三重塔に見られる。雪打(ゆた)。しょうかい。 ●相輪(そうりん) = 塔の最上層の屋頂に載せた装飾物。露盤・伏鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・檫管(さっかん)、檫管に積み重ねられた九輪(くりん)・水煙(すいえん)・竜車・宝珠から成る。金属製・石製などがあり、インドの仏塔(ストゥーパ)に起源するとされる。九輪。輪相。 |
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