来迎院多宝塔相輪宝珠の銘文 |
考証学者の宮本茶村が江戸時代後期に来迎院多宝塔相輪の宝珠から書写したリストです。 衰退していた来迎院は、下記のように土岐氏が主体となり多数の人達が協力して、小野逢善寺の住職覺仙(覚仙)により弘治2年(1556)5月に中興されました。 下記リストの赤文字は我が東條氏、ピンク文字は土岐氏です。東條氏の名前から、両者は姻戚関係を結んでいたと考えられます。しかも、「英」の文字を偏諱として東條氏が土岐氏からいただいたことから、上下関係は土岐氏が上ということになります。長期間、この一帯を支配していた東條氏は、移住してきた土岐氏の麾下へ平和裏に組み込まれました。 龍ヶ崎市歴史民俗資料館提供資料、および東町史「史料編 古代・中世」より引用 来迎院多宝塔九輪銘 常総遺文 常州河内郡東條庄馴馬村箱根山宝塔寺来迎院天台宗境内二重多宝塔九輪之金輪ニ記有之文字 「上ノ台(朱筆)」 旦那小林但馬守源勝義 同塚本筑後守平頼久 巻者神本土佐守藤原繁行 権大僧都法印覺範 東條左近将監平朝臣英幹 東條泉元長居士妻女 妙昌同息平朝臣英重 本願別當權大僧都覺仙 大旦那神生石見守 同妻千代 小仙足高道徳 同妻女 江戸崎塔本願常徳寺平行久 此塔之九輪上留并大工内田大蔵尉繁久 同内田半七当所大工河村左衞門 妙善五郎左衞門松子ウバコ 房升也松奇妙印良珊 豊葦原中津州之内常陽河内郡馴馬郷惣守護従清和天皇五代之後胤土岐頼光公自尓以来十有餘霜之□氏土岐美作守治頼嫡男大膳太夫治英朝臣干戒戈徐納希代廟塔修繕之為壇越應此光力郡庄泰平枝葉繁永崇敬牙他異者乎 干時弘治貳天丙辰五月吉日 重彫取次治英家老 増尾興六平人臣英秀 秋元五郎兵藤原朝臣重藏 山崎美濃守明信 大旦那奉行人同新次郎 海保左馬助明義 渡邊修理亮泰義 廣田右馬亮俊久 中津内記助蔵人 浅野主計助俊英 浅野平衞門明重 海保圖書助 浅野右馬助 中山縫殿助 同妻女 大竹源右衞門 同妻女 原孫七 同妻女 門藏杢之助道順 道場勝蓮寺浄阿弥 神祐浄円門 龜靏女 良證尊雄私父母 權大僧都覺□妙恵尼 菊女八幡 權少僧都慶源 覺賢 犬マス大郎 道幸 糸加太刀帯 七郎太母 妙心 啓冠之助 小太郎 絆之旦那岡澤源左衞門家善 道西 桂一本 同息弥五郎 道高 山崎新二郎 新宮石見守 上総國善五郎 會田右馬助 妙中尼 妙金 内匠助 菊増 申子 妙香常陸 妙金 妙忍加めこ 妙珎良義 鍛冶 宗意 新宮九郎兵衞 草□孫右衞門 妙海浄眼阿弥 浅野税助 源七 彦五郎 妙鏡靏 左衞門太 性仲昌心外太 權大僧都本願別當覺仙 道見 道仲 道円 道心 妙忍 妙西 太郎七郎太 「下ノ台此処細字并梵字有之候ヘトモ分リ兼候」 内田大蔵尉 内田半七 「細子有之候ヘトモ分リ兼候」 中納言 石引和泉守 常州河内郡高森村義圓 下州住宮本内記佐家繁 東條小野住人内田大蔵尉 今藤被官 大竹助九郎 「細字ニテ分リカネ此外略之 右 馴馬村山崎茂右衞門所写」 |
[語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。 ●多宝塔(たほうとう) = 釈尊・多宝2仏や大日如来をまつる塔。円形平面の単層の宝塔の下層に裳階(もこし)をつけた塔形で、密教寺院に多い。上に相輪を立て、四隅に鎖をかける。日本では平安前期から造られたが、現存するものでは、鎌倉時代建立の石山寺のものが最古。 ●相輪(そうりん) = 塔の最上層の屋頂に載せた装飾物。露盤・伏鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・檫管(さっかん)、檫管に積み重ねられた九輪(くりん)・水煙(すいえん)・竜車・宝珠から成る。金属製・石製などがあり、インドの仏塔(ストゥーパ)に起源するとされる。九輪。輪相。 ●裳階(もこし) = 建物の軒下壁面に造られる庇(ひさし)様の差掛(さしかけ)これのある建物を雪打造(ゆたづくり)という。法隆寺金堂・薬師寺三重塔に見られる。雪打(ゆた)。しょうかい。 |
トップページ>『故地』>『来迎院多宝塔』>『来迎院多宝塔相輪宝珠の銘文』 『故地』>『東條太田城跡』 |