『佐々 宗淳 (さっさ むねきよ)(号:十竹(じっちく) 通称:介三郎(すけさぶろう))』
父: 佐々直尚
生誕: 寛永17年(1640)  場所: 讃岐國沖合瀬戸内海の何れかの小島とされる
没年: 元祿11年6月3日(1698/7/10) 享年: 59歳  場所: 西山荘近傍の不老澤(おいぬがさわ)

織田信長に仕えた佐々成政の実姉の孫にあたる佐々直尚五男。
父直尚は生駒氏に仕えて讃岐にあったがお家騒動(生駒騒動)に巻き込まれ、船で瀬戸内海を渡り奈良の宇陀に逃げる途中で母が産気づいたため、急遽停泊させた小島で宗淳が誕生したらしい。
15歳のとき京都妙心寺の僧となるが、当時の仏教界に疑問を感じ34歳で還俗。
延寶2年(1674)、水戸2代藩主徳川光圀に認められて水戸藩士となり彰考館史臣。『大日本史』編纂のための史料収集と調査に、主として西国各地へ出張し多大な功績をあげる。
元祿元年(1688)彰考館総裁。
光圀が西山荘に隠棲すると、近臣23名の一人として西山荘近傍の不老ヶ沢(おいぬがさわ)に屋敷を与えられる。
水戸藩士となってから二度結婚。子は後妻との間に女二人。甥を養子としたが子ができず、直系は嗣絶。
性格は誠実で、各地への出張調査は水戸藩主徳川光圀の使者という立場にもかかわらず接待を悉く辞退し、決して賄賂を受け取ることがなかった。九州久留米出張の際には焼酎が、そして鹿児島では泡盛が届いたが、全てを返したという。
光圀に先立ち西山の地で没。
幕末期に創作された『水戸黄門漫遊記』でスケさんのモデルとなる。

戻る  トップページ>『先祖調査メモ』>『水府系纂目録』>『』(佐々氏)
Copyright © 2002- Sam Ohta/JA1POP All Rights Reserved.