高遠城址公園イラストマップ

『高遠城址公園イラストマップ』 長野県伊那市 Googleマップ 高遠城址公園  2009年4月12日撮影
上図と下記説明は伊那市発行のパンフレットより引用。

高遠城址公園
 高遠城は、三峰川と藤沢川に削られた河岸段丘上の突端に位置しています。段丘上から見れば平城のように見えますが、他の三方から見ると川敷から80mもの高い丘の上にある山城の姿をしているため、一般的に平山城と言われています。
 高遠は古くから諏訪氏の勢力圏にあって、南北朝の頃よりその支族である高遠氏が一円を治めていました。しかし、ここが諏訪から伊奈へ抜ける交通の要衝であり、南信濃から駿河や遠江に進出するための重要な地点であったことから、天文年間(1532~1555)に武田信玄の侵略に遭い、その旗下に属しました。高遠を手に入れた信玄は、高遠城の拡張改築を家臣に命じ、天文16年(1547)に「鍬立て」を行っています。この築城に関わったのが山本勘助であると伝えられています。江戸時代には大規模な改修がなされているため、当初信玄が改修した城の姿は分かっていませんが、各曲輪を隔てるためにめぐらされた深い空堀や、場内に残る土累からは、地形を巧みに利用した戦闘的な城の姿をうかがい知ることができます。武田氏による高遠支配は35年間続きましたが、高遠城が南信州の拠点として重要視されたため、城主は、諏訪(武田)勝頼や仁科五郎盛信など信玄の近親者が就いています。中でも天正10年(1582)、伊那谷に攻め入った織田軍と戦った仁科五郎盛信の姿は後々まで語り継がれ、盛信の流した血は城内に植えられているコヒガンザクラの赤みにもなぞらえられています。
 明治5年、新政府の手によって城内の建物は民間に払い下げられましたが、城跡には、旧藩士らの手によって「桜の馬場」から桜が移植され、明治8年に公園となりました。
 公園北口には昭和11年に高遠出身の池上秀畝・小松伝一郎・広瀬省三郎・矢島一三の四氏が建て、町に寄贈した国登録有形文化財『高遠閣』があります。その他公園内には太鼓櫓・当時の空堀や土累、無字の碑を始めとした数々の碑文等があり古きを偲ぶことができます。
 桜の時期を過ぎても初夏の新緑、秋の紅葉等四季折々楽しむことができます。

タカトオコヒガンザクラ
 タカトオコヒガンザクラは明治8年頃から植え始め、樹齢130年を超える老木を含め、現在では約1500本の樹林となっています。その花形はやや小ぶりで赤みを帯びその可憐さと規模の大きさは「天下第一の桜」と称されるほどで県の天然記念物の指定を受け、平成2年には日本さくらの会の「さくら名所百選」に選ばれています。

名君「保科正之公」
 正之公は、慶長16年(1611)5月7日、徳川二代将軍秀忠を父、お静(志津)の方を母として生まれた。高遠での元和3年(1617)七歳から寛永13年(1636)26歳までの19年間で正之公の賢明な素質と高遠藩上げての教育の力により民衆の臣としての人格が育まれた。会津へ転封後、41歳で四代将軍家綱の後見役となり『玉川上水の開削』『社倉の創設』『末期養子の禁の緩和』『殉死の禁止』『大名証人制度の廃止』など数多くの美事、善政を実践した。
 今の日本は正之公の体現していた無私の精神、慈愛の心を失ってきており、利益・利潤すべてに優先されるようなこの時代に、自らを抑え他人を思いやる正之公のような指導者が今、求められているのではないでしょうか。
 現在、伊那市・関係市町村が、名君保科正之公の「NHK大河ドラマ」化実現に、署名及びNHKへの制作要請を行っております。

企画・発行 伊那市

高遠城址公園のタカトオコヒガンザクラはこちら(2010年版)。そのアップはこちら(2010年版)。しだれ桜はこちら(2009年版)
真田幸昌築城上田城址のしだれ桜はこちら(2010年版)
高田城址西堀の桜はこちら(2009年版)。高田城址三重矢倉とソメイヨシノはこちら(2009年版)。ライトアップされた三重矢倉はこちら(2014年版)
宿泊した斑尾高原の残雪はこちら(2009年版)。2009年の桜紀行のおりに見学した善光寺御開帳はこちら

各地区公式サイト: 長野県のサイト伊那市  伊那市観光協会

1泊バスツアー(2009年版)(コースは毎年少し違います)
1日目: 4月11日 7:00 横浜上大岡発~横浜駅西口経由~(関越道)(上信越道)~12:00 上田城跡公園着/13:00 出発~あんずの里~16:40 高田公園着/18:00 出発~19:30 斑尾東急ホテル着
2日目: 4月12日 7:40 ホテル出発~9:15 善光寺着/11:00 出発~14:00 高遠城址公園着/15:00 出発~(中央道)~
XXX~22:00 上大岡着
帰路、中央道を上り山梨県笛吹市に入るまでは全てが順調でした。ところが、東京までの間で事故が3件発生して所要4時間というので、一宮御坂で下りて河口湖に向かいました。
高速料金がどこまででも\1,000 max.の政策で運転に慣れない人までが繰り出したため、そこここで渋滞の原因を作ったり衝突したりしたようです。
一宮の一般道では一面の桃の花を見ることができて儲かった気分になったのも束の間、御坂トンネル手前から河口湖へ下りるまで大渋滞でした。河口湖から乗った富士五湖道路は快適。御殿場から乗った東名高速も、全く動かないような渋滞ではなかったので、何とか当日に家に戻ることができた次第です。運転手さんと添乗員さんの判断が正解でした。
山梨県笛吹市以降の渋滞を別にすれば、桜は行くところ全てが見頃で素晴らしい2日間でした。最近は、自分で運転するよりバスツアーが気に入っています。

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