東條太田城跡 城跡碑の前面

『東條太田城跡 城跡碑の前面』 茨城県稲敷市下太田 Googleマップ 東條太田城跡 永暦元年(1160)頃~天正18年(1590) 約430年間在住 2014年10月11日撮影
カメラ機種名: Canon EOS 5D Mark III, 撮影モード: 絞り優先AE, 絞り数値: 2.8, シャッター速度: 1/1600, 測光方式: 評価測光, 露出補正: +1/3, ISO感度:100, ホワイトバランス: オート, 長秒時露光のノイズ低減: 自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 弱め, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 標準, 周辺光量補正: する,色収差補正: する
レンズ: EF24-70mm f/2.8L II USM, 焦点距離 50.0mm, 画像サイズ: 5760x3840を1024x686にリサイズ

 東條城跡碑 前面碑文

 土岐氏居城
東條城跡
 守護太田中學校

画像にマウスカーソルを置くと、『余湖くんのホームページ』の余湖さんが描いて下さった東條太田城跡の鳥瞰図に赤い矢印を置いて大まかな撮影場所と撮影方向を示す図に入れ替わります。
さらに、クリックすると写真のオリジナルファイルが開きます(約8 MB)。

この東條太田城跡地が(旧)太田中学校(
Note)時代の昭和26年2月、地元有志の方々により建立された石碑です。
2002年に初めてこの地を訪れ石碑を拝見して以来、「土岐氏居城」に加えて「東條氏築城」の一文が欲しかったと思っておりましたが、背面碑文から建立された地元有志に諸岡様、石田様、臼田様など土岐氏の元家臣の方々が多くいらっしゃることを知って納得しました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐に伴い小田原北條氏方を標的とした常陸の合戦に於いて、秀吉方によって落城したとき、城主となっていた土岐氏主従は帰農して命脈を保ちましたが、我々東條一族は討たれて滅亡し、生き残りは各地へ逃げ去りましたから文句は言えません。東條英機さんのご先祖は遠く奥羽へ、私の先祖は太田に改姓して江戸へ逃亡・潜伏しました。土岐萬喜氏族から東條氏へ婿入りして龍ヶ崎市泉町の東條泉城主となった東條泉氏は、天文22年(1553)に小田天庵との合戦で滅んでおり、子の乙丸が地元の人々に救われ子孫が泉の地で現代へ続きます。
ありがたいことに、埋もれていた碑を工事関係者が発見し仮復旧して下さったそうです。2011年の3.11で倒壊したのかもしれません。

Note
: (旧)太田中学校についてはこちら

外部リンク
美浦村お散歩団お城歩き稲敷郡域東条城(太田城)
余湖君のホームページ茨城県の城址稲敷市(旧新利根町)東条城

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