『鎌倉英勝寺近傍の阿佛尼(阿仏尼)供養塔』 平成20年(2008)12月7日撮影 カメラ機種名: Canon EOS 40D, 撮影モード: プログラムAE, 絞り数値:3.5, シャッター速度: 1/45, ISO感度: 400, ホワイトバランス: オート レンズ: EF16-35mm f/2.8L II USM, 焦点距離: 16.0mm(35mm換算=25.6mm), 画像サイズ: 2592x3888を683x1024にリサイズ 『十六夜(いざよい)日記』(Note 1)の作者で歌人である阿佛尼は、実子冷泉為相とその兄の所領争いで為相に播磨国細川庄を相続させる訴訟のため建治3年(1277)に京から鎌倉へ来ましたが、訴訟が長引き志半ばで弘安6年(1283)に寂しました。 英勝寺から海蔵寺方向へ少し歩くと道路左側にこのやぐら(Note 2)があります。江戸時代前期には卵塔だったそうですから、誰かが六層塔に建て替えたのでしょう。 江戸時代には、この場所の少し先(北方向)までが英勝寺の境内でした。ちなみに東側の境界線は、横須賀線のさらに先でした。 [語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。 Note 1: 『十六夜日記(いざよいにっき)』 = 紀行。1巻。阿仏尼(あぶつに)が夫為家の没後、領地(播磨細川荘)相続について実子為相(ためすけ)のために幕府に訴えようと、1279年(弘安2)京都から鎌倉に下った時のもの。いさよいのにっき。 Note 2: やぐら(矢倉・窟) = (イハクラ(岩倉)の訛か)岩石に穴を掘って物を貯蔵しておく倉。また、墓所。鎌倉地方に多い。 |
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