『旧伊藤博文金沢別邸の門と玄関』 横浜市金沢区野島町 2009年10月31日 カメラ機種名: Canon EOS 40D, 撮影モード: プログラムAE, 絞り数値: 8.0, シャッター速度: 1/180, 測光方式: 中央部重点平均測光, ISO感度: 400, ホワイトバランス: オート, 高輝度側・階調優先: する レンズ:EF16-35mm f/2.8L II USM, 焦点距離: 16.0mm(35mm換算=25.6mm), 画像サイズ: 3888x2592を1024x683にリサイズ シーサイドライン「野島公園」駅から徒歩5分です。 外観はこちら、客間からの眺めはこちら。 別荘つながりで、富岡の旧川合玉堂別邸はこちら。 下記は、指定管理者「財団法人 横浜市緑の協会」発行の「野島公園旧伊藤博文金沢別邸リーフレット」(平成21年10月発行)より引用。 横浜市指定有形文化財「旧伊藤博文金沢別邸」 明治期の茅葺屋根海浜別邸建築 旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文公により、明治31年(1898)に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別邸建築です。 明治期、富岡などの金沢近傍は東京近郊の海浜別荘地として注目され、松方正義や井上馨などが別邸を設けました、その後大磯・葉山など湘南地方が別荘地として栄え、金沢はその役割を終えました。金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。 平成18年(2006)11月横浜市指定有形文化財に指定されました。建築の老朽化が著しかったことから、平成19年(2007)解体工事・調査を行い、現存しない部分を含め創建時の姿に復元することになりました。平成20年(2008)6月より工事着手、平成21年(2009)10月に庭園と併せて竣工しました。本施設は内外共ご自由に見学いただけます。 伊藤博文公について 伊藤博文公は天保12年(1841)周防国(山口県)にて百姓の林十蔵・琴子夫妻の長男として生まれ、幼名を利助といいました。利助が12歳の時、父十蔵が萩藩の中間伊藤直右衛門の養子となり以降伊藤姓を名乗るようになります。 安政4年(1857)に松下村塾に入り吉田松陰に学び、桂小五郎や高杉晋作、井上馨や山縣有朋らと討幕運動に奔走します。 維新後は、政府の近代化政策の中心的役割を担い、明治18年(1885)弱冠44歳で初代内閣総理大臣に就任しました。4度の内閣組閣と枢密院議長、初代韓国統監を経て、明治40年(1907)公爵を授与されています。 明治42年(1909)10月26日、中国黒竜江省のハルピン駅で68歳の生涯を閉じました。 |
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