『ラジオの製作中』 我が家 GL: PM95ti49te 昭和63年(1988)8月21日撮影 作業机の左の紙は私が設計して描いた回路図で、彼はそれに基づいて配線をしています。 作業机に灰皿が置いてあることから分かりますとおり、当時はシャック(Operating Room)でタバコを平気で吸っていました(子供が部屋にいるときは吸いません)。ラックが茶色になっています。今は、リフォームして、ここ2階から1階に移動し、おまけに壁が真っ白の漆喰ですから屋内では吸えなくなりました。1階に移動したシャックはこちら。 ところで、作業机の下にはエナメル線のドラムがたくさんありますね。これらは私の大叔父(祖父の弟)の遺品です。亡くなる前に「修にあげるから持って行け」と言われ、エナメル線のドラムのほかに鉱石検波器を含む古い部品をたくさんもらってきました。 鉱石検波器は、方鉛鉱がスプリングで両極へ接触しており、感度が上がる方向に固定するのがミソでした。ネジ式の端子を一旦外し、方鉛鉱の方向を少し変えて端子を取付け、感度が悪ければ再度取り外して方鉛鉱の方向を変えるという繰り返しでした。 大叔父は戦前からラジオを作っていたそうで、近所の我が家にも置いてくれていました。真空管のソケットやスイッチの接触が悪くて聞こえなくなったとき、ケースを叩くと復活しました。 この大叔父の存在と、私が小学生の頃、近所にJA1AWN 羽賀さんがお住まいになっていたのがハムに興味を持ったきっかけです。二人からは「ハムになったらどうか」というようなことは、一度も言われませんでしたが、何となく自然に中学生になった頃には送信機まで作るようになっていました。 羽賀さんは、我が家に下宿していた谷口さんのお友達で、谷口さんが羽賀さん宅へ連れて行ってくれた後は、勝手に一人で遊びに行くようになりました。アパートの敷地が広くて7MHz用のダイポールが上がっており、給電はハシゴフィーダだったのを覚えています。そのときのJA1AWN 羽賀さんと私はこちら。送信機は、807か813だったと思います。羽賀さんはその後、JA1AI 稲葉さんの隣接地を購入されて今もお住まいになっています。丘の上ですからロケーションが抜群です。最近のJA1AI 稲葉さんはこちら(の中の一人です。最近の写真なのでこれ以上は非開示)。 |
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