大日本史
水戸2代藩主徳川光圀の発意により編纂が開始された日本の歴史書

◎明暦3年(1657)、後に水戸2代藩主となる徳川光圀30歳が江戸の駒込別邸に史局を設け、4人で史書の編纂に着手。
◎寛文12年(1672)、史局を小石川上屋敷へ移して彰考館と命名。通称は史館と呼ばれる。
◎延寶(延宝)4年(1676)から光圀は史書編纂のため史館員を九州、四国、中国、京都、北陸へ派遣して調査を行なう。
派遣は元祿6年(1693)までの18年間に大小規模で合計13回。
江戸と水戸に分かれた史館員相互、また各地へ派遣された史館員とは『往復書案』を交わして情報交換が行なわれた。
◎正徳5年(1715)、紀・伝(本紀・列伝)の名称が『大日本史』と決定。
大日本史は尊皇敬幕・南朝正統の思想に基づき、水戸学形成の基礎となる。
光圀存命中に大半は成りながらも藩の財政を圧迫しつつ代々の藩主が光圀の遺志を継いで校訂が重ねられ、栗田寛による志・表の完成を以て明治39年(1906)に編纂完結。紀・伝・志・表、合計397巻と目録4巻。
249年間にわたる『大日本史』編纂事業に於いて、紀・伝の編纂には安積覺兵衞、志・表の編纂には豊田天功栗田寛の功績が多大であると言われ、結果として「士」(安積覺兵衞)、「農」(豊田天功)、「工」がなくて(
Note)、「商」(栗田寛)の協力で成る。

[語句説明] 広辞苑によれば、つぎのとおりです。
大日本史(だいにほんし) = 神武天皇から後小松天皇までの歴史。徳川光圀の撰。397巻。漢文の紀伝体。1657年(明暦3)史局を設けて着手、光圀没後も編集を続け、1906年(明治39)完成。神功皇后を皇妃伝に、大友皇子を本紀にのせ、南朝を正統として、幕末の勤王思想に多大な影響を与えた。

Note: こじつけさせていただけるなら、『往復書案』に登場する太田九藏歳勝は父一有から細工人を受け継いで水戸藩に出仕しましたので「工」に該当します。

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