名字の地 東條太田

『名字の地 太田』 常陸國信太郡東條太田(当時) = 茨城県稲敷市下太田(現在) Googleマップ 稲敷市下太田 永暦元年(1160)~天正18年(1590) 430年間在住  2002年4月撮影
カメラ機種名: Fuji Film FinePix4500, レンズ: カメラ内蔵 35mm換算36mm固定

上のGoogle マップをクリックすると、ストリートビューで最近のバス停をご覧いただけます。
太田バス停は、龍ヶ崎と潮来を結ぶ県道5号線にあります。
我が家の『太田』の名字(苗字)は、この地名から興りました。それは、天正18年(1590)3月25日のことでした。
豊臣秀吉の小田原攻めに伴う常陸國の合戦に於いて、後北條方土岐氏の麾下にあった東條彈正は秀吉方佐竹義宣の弟蘆名盛重(実際にはその配下の神野覚助隊)と戦い「一家悉く滅亡」します。彈正の父東條兵庫幹要も一緒に戦死したと思われます。
このとき彈正の子の助衞門某が生き残りました。東條と名乗ったのでは生き残ったのがばれてしまいます。そこで、これまで居住していた東條庄太田の地名から太田に改姓して江戸へ逃亡・潜伏します(『歴史年表(PDF)』の天正18年参照)。
このとき太田助衞門某は9歳くらいですから、一人ではとても江戸まで行けません。母、叔父の太田源五左衞門、または誰か関係者が生き残って連れて行ったと思います。
太田助衞門某は江戸で亡くなり、その長男助衞門一有が101年後に常陸國へ戻ります。戻った場所はこちらです。

外部リンク
各地区公式サイト: 茨城県つくば市稲敷市  東京都文京区

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