一乗谷朝倉氏遺跡  Since August 16, 2013
福井県城戸ノ内町  Googleマップ 一乗谷朝倉氏遺跡
Googleマップの航空写真を拡大していただきますと、地割りや復原された建物の様子が見て取れます。また、航空写真でも地図でも「一乗谷朝倉氏遺跡」のポイントは、最後のご当主朝倉義景の館があった場所のど真ん中になっています。

以下、一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会発行の案内パンフレットの一部を引用。

特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏の歴史
 朝倉氏は現在の兵庫県養父市八鹿町の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。以後、孝景、氏景、貞景、義景と5代103年間にわたって越前中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。義景は、足利義昭を南陽寺に迎え観桜の宴を催しました。しかし天下統一の刀根板の戦いで1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き討ちにあい灰燼に帰しました。

一乗谷朝倉氏遺跡・庭園
 一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていました。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園が特別名勝に指定されました。

義景館跡と館跡庭園
 第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500m² 程の敷地があり三方は土塁と濠で囲まれています。常御殿、主殿、会所、茶室、日本最古の花壇のほか、台所、厩
(うまや)、藏などが整然と配されていました。東側の山際にある館跡庭園は力強い滝石組、護岸組石を持ち、その洗練された石組に京都との交流が偲ばれます。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された街並 武家屋敷跡
広大な敷地です。この場所には建物は復原されていません。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された街並 復原された町並
440年前の町並です。道路の左が武家屋敷跡に復原された土塀、右側の一角が復原された町屋です。その先には武家屋敷も復原されています。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された瀬戸物屋さん 復原された瀬戸物屋さん
覗いている子供も復原されています。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された武家屋敷の外側 復原された武家屋敷外側
中には将棋をさしている人が復原されています。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された武家屋敷の内部 復原された武家屋敷内部
将棋をさしています。
左側の部屋には武具が展示されています。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された武家屋敷に展示された武具 復原武家屋敷内部に展示された武具
甲冑と大小が展示されています。素晴らしい甲冑は、何とダンボールで作ったものだそうです。奥の部屋には将棋をさしている人がいます。
一乗谷朝倉氏遺跡 復元された武家屋敷の内部 復原武家屋敷説明板
一乗谷朝倉氏遺跡復元ジオラマ 復原されたトイレ
復原当初は入り口にドアがありました。
なぜ、そのドアが現在は奥へ立てかけてあるのでしょうか?
一乗谷朝倉氏遺跡 義景館跡 義景館跡
ご当主の館ですから広大な敷地です。館の配置と庭園の様子が分かります。
詰めの山城があった山へ少しだけ上がった場所から撮っています。
一乗谷朝倉氏遺跡 義景館跡の土塁と濠 義景館跡の土塁と濠
一乗谷朝倉氏遺跡 義景館跡説明板 義景館説明板
一乗谷朝倉氏遺跡復元ジオラマ 町並の復原ジオラマ
発掘成果に基づいて、440年前の町並が精密に復原されています。
二泊三日の旅行で、前々日に訪れた世界遺産越中五箇山の合掌造り集落はこちら。前日に訪れた能登白米の千枚田はこちら
外部リンク: 一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会
各地区公式サイト: 福井県観光・魅力史跡特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡  福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

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